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王貞風(おう ていふう、436年 - 479年)は、南朝宋の明帝劉彧の皇后。本貫は琅邪郡臨沂県。 == 経歴 == 王僧朗の娘として生まれた。448年(元嘉25年)、淮陽王妃に立てられた。452年(元嘉29年)、劉彧が湘東王に改封されると、貞風は湘東王妃となった。晋陵長公主劉伯姒と建安長公主劉伯媛を産んだ。465年(泰始元年)、明帝が即位すると、貞風は皇后に立てられた。 472年(泰予元年)、後廃帝が即位すると、貞風は皇太后となり、弘訓宮を称した。後廃帝に不徳の行為が多く、貞風は帝に対してたびたび訓戒を加えた。帝も始めは従順に聞き入れていたものの、後になって狂態はますますひどくなった。477年(元徽5年)5月5日、貞風は後廃帝に玉柄毛扇を与えたが、帝はその華美でないのが気に入らず、貞風を毒殺しようと、太医に薬を調合するよう命じた。側近が諫めたため、帝はようやく取りやめた。 順帝が即位し、蕭道成が権力を握ると、劉晃・劉綽・卜伯興らが政変を計画し、貞風はこれに強く関与した。479年(建元元年)4月、順帝が蕭道成に帝位を譲ると、貞風は順帝とともに東邸にうつり、さらに丹陽宮に移住して、汝陰王太妃となった。5月、順帝が丹陽で死去すると、貞風は建康に邸を建てられて移った。同年のうちにその邸で死去した。享年は44。明恭皇后と追諡され、宋の皇后の礼で葬られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王貞風」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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