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王逡之 : ミニ英和和英辞書
王逡之[おう しゅんし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 
: [これ]
 (int,n) (uk) this

王逡之 : ウィキペディア日本語版
王逡之[おう しゅんし]
王逡之(おう しゅんし、生年不詳 - 495年)は、南朝宋からにかけての儒学者は宣約。本貫琅邪郡臨沂県
== 経歴 ==
代々郡太守を輩出した家に生まれた。若くして礼学で広く知られた。宋の江夏王国常侍を初任とした。大司馬行参軍や章安県令をつとめた。始安郡内史に進んだが、赴任しないうちに山陽王驃騎参軍に任じられ、治書御史を兼ねた。安成国郎中となり、呉県令に転じた。479年昇明3年)、著作郎として尚書左丞を兼ね、斉国の儀礼の制定に参与した。王倹が『古今喪服集記』を編纂すると、逡之は王倹の説の11条を批判し、『世行』5巻を編纂した。国子博士となった。480年建元2年)、国学を立てるよう上表した。著作を兼ね、『永明起居注』を編纂した。通直散騎常侍・驍騎将軍の位を受けた。寧朔将軍・南康相として出向した。太中大夫や光禄大夫の位を受け、侍中を加えられた。生活は質素で、老年になっても釈巻を手放さなかった。495年建武2年)、死去した。
従弟の王圭之は、史学で知られ、『斉職儀』を編纂した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「王逡之」の詳細全文を読む




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