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王 雲五(おう うんご)は中華民国の政治家・実業家。商務印書館の総経理として活動するなど、中華民国期における出版業界の重鎮であった。また、国共内戦期に財政部長として金円券政策を実施したことでも知られる。名は之瑞だが、一般には字の雲五で知られる。幼名は日祥。族派名は鴻禎。号は岫廬。筆名は出岫、竜倦飛。祖籍は広東省広州府香山県。 == 事績 == === 初期の活動 === 上海の小規模商店の家庭に生まれる。幼い頃から店舗で働きつつ、英語を夜学などで学んだ。1906年(光緒32年)冬、上海益智書室から教員として招聘され、英語・数学・史学・地理を教える。翌年春、振群学社社長となり、10月、中国新公学(後に中国公学に吸収合併される)で英語教師となる。このとき、胡適、朱経農、楊杏仏などが学生となった。1909年(宣統元年)、江蘇省の留美(米国留学)予備学堂で教務長に任ぜられる。〔熊(1997)、453-454頁。〕〔徐主編(2007)、152頁。〕〔劉国銘主編(2005)、129頁。〕 辛亥革命後に王雲五は孫文と対面し、1912年(民国元年)1月の中華民国臨時政府成立と共に、大総統府秘書に招聘された。3月、教育総長に任命された蔡元培に随従して、北京政府教育部で専門司第1科科長に任ぜられる。同年、国民党に加入し、国民党が運営する『民主報』主編をつとめた。また、国民大学法科で英語の科目を担当している。同年5月に教育部の職務を辞任し、中国公学大学部で英文修辞学などを教えた。1916年(民国5年)春からは上海に戻り、同年7月、蘇粤贛三省禁煙特派員となる。まもなく翻訳業に専念し、1920年(民国9年)には上海公民書局の『公民叢書』で主編となった。〔熊(1997)、454頁。〕〔〔劉国銘主編(2005)、129-130頁。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王雲五」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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