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珠洲岬(すずみさき)は、石川県珠洲市にある岬。能登半島の先端部にある金剛崎のことであるとも、その周辺の岬を含めた総称であるともいわれる。 == 地理 == 珠洲岬がどの地点を指すのかについては諸説あり、以下のようなものがある。 # 金剛崎のこと。 # 金剛崎・遭崎・宿崎のこと。 # 禄剛崎・金剛崎・遭崎のこと。 # 禄剛崎・金剛崎・長手崎のこと。 国土地理院の地形図では、金剛崎の位置に「珠洲岬」と併記されている〔「地理院地図(電子国土Web) 」より(2014年10月4日閲覧)。〕。『日本の地名がわかる事典』によれば、珠洲岬とは能登半島の東端部を指す総称であるとしながらも、狭義には金剛崎をいうとある〔コトバンク「珠洲岬とは 」より(2014年10月4日閲覧)。〕。 『角川日本地名大辞典』によれば、国土地理院の地形図での表記から、金剛崎を珠洲岬と特定する考えがあるとしながらも、寺家村の金剛崎・遭崎、高波村の宿崎を合わせて三崎と称するという『文化六年郡方書上帳』の記述を取り上げ、地元においてもこの三崎を総称したものが珠洲岬であるという考えが主流であるとしている〔『角川日本地名大辞典 17 石川県』496ページ。〕。また、『出雲国風土記』の国引き神話に高志の都都の三埼を引き寄せて美保岬を造ったとあり、その都都の三埼が珠洲岬を指すという説も併せて紹介している〔『角川日本地名大辞典 17 石川県』1061ページ。〕。 『世界大百科事典』(第2版)や『ブリタニカ国際大百科事典』(小項目事典)には禄剛崎・金剛崎・遭崎の総称とあり、『百科事典マイペディア』や前出の『日本の地名がわかる事典』には禄剛崎・金剛崎・長手崎の総称とある〔。 なお、宿崎の場所について、金剛崎と遭崎との間にあるとする資料が存在するが〔泉雅博「能州三崎浦専念寺文書からの海域史 」より。〕〔福井亜啓「舟小屋にみる建築物の存続のありかたの再考 」より。〕、1906年(明治39年)出版の『石川県地理詳説』によると遭崎と長手崎との間にあるとされているので、略地図と併せて紹介する〔『石川県地理詳説』250ページ 。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「珠洲岬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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