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(n) (hist) ancient farmland allotment =========================== ・ 班 : [はん] 1. (n,suf) group 2. party 3. section (mil) ・ 班田 : [はんでん] (n) (hist) ancient farmland allotment ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field
班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)とは、古代日本において施行された農地(田)の支給・収容に関する法体系である。班田収授法による制度を班田収授制または班田制という。班田収授制は、日本の律令制の根幹制度の一つであり、律令が整備された飛鳥時代後期から平安時代前期にかけて行われた。なお、「はんでんしゅうじゅのほう」ともよむ〔『社会科 中学生の歴史』(株式会社帝国書院。平成20年1月20日発行。文部科学省検定済教科書。中学校社会科用)p 38、『新しい社会 歴史』(東京書籍株式会社。平成16年2月10日発行。文部科学省検定済教科書。中学校社会科用)p 38の「班田収授法」には、いずれも「はんでんしゅうじゅのほう」というふりがながふられている。〕。また、「班田収受の法」と表記することもある〔『日本史B 新訂版』(実教出版株式会社。平成14年1月25日発行。文部科学省検定済教科書。高等学校地理歴史科用)p 37, 42には、いずれも「班田収受の法」と記載され、「班田収受」には、「はんでんしゅうじゅ」というふりがながふられている。〕。 == 概要 == 戸籍・計帳に基づいて、政府から受田資格を得た貴族や人民へ田が班給され、死亡者の田は政府へ収公された。こうして班給された田は課税対象であり、その収穫から租が徴収された。この制度は、当時の中国で行われていた均田制の影響のもとに施行されたと考えられている。 もっとも、均田制と班田制ではその仕組みに大きな違いがあるとする指摘もある。例えば、唐の均田制では3年ごとに実施される戸口所属認定と土地認定機能を持つ造籍と土地分配機能を持つ収授が分離され、収授が毎年の計帳作成と同時に実施されている。また、唐では戸口(成員)と田地が一体化した経営体である「戸」が社会に存在している状況を前提として、実際の均田は戸単位の田地の調整によって実施されていた。更に収授の手続・実務は現地の県令が行い、州単位で余剰の田地が発生した場合のみ、中央(尚書省)に報告して判断を仰いだ。これに対して日本の班田制では戸口所属認定を持つ造籍と土地認定機能・土地分配機能を持つ班田が6年ごとに実施される1つの事業(戸籍に基づいて班田が実施)になっており、土地を分配する収授が班田手続の1つとなっている。また、「戸」も造籍と班田の結果として形成される組織であった。そして何よりも班田の実施には中央(太政官)への申請と校田帳・授口帳の提出と民部省による両帳の勘会を経て、班田実施を命じた太政官符(班符)の発給を必要とするなど、中央による統制が強く働いた制度であった〔三谷芳幸「律令国家と校班田」(初出:『史学雑誌』118巻3号(2009年)/改訂所収:三谷『律令国家と土地支配』吉川弘文館、2013年 ISBN 978-4-642-04603-9)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「班田収授法」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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