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現象判断のパラドックス(げんしょうはんだんのパラドックス、英:Paradox of phenomenal judgement)とは、哲学の一分科である心の哲学という分野において議論されるパラドックス。現象報告のパラドックスとも呼ばれる〔青山拓央, 「現象報告のパラドックス」 , 研究プロジェクト報告書101号 『主体概念の再検討』, 千葉大学大学院社会文化科学研究科, 永井均編, pp. 1-5, 2005. 3.〕。意識の主観的・経験的側面である現象意識またはクオリアに関する問題(意識のハード・プロブレム)について議論する文脈で登場するパラドックスで、主に物的一元論的な立場から、二元論的な立場全般を批判するのに使用される。 == 概要 == これは、現象意識やクオリアと呼ばれる意識の主観的側面を、物質の世界における物理状態から独立したものとして分けて考え(つまり意識と物質を独立させた二元論的な立場をとり)、かつ物理的なものが物質の世界において因果的に閉じていると仮定すると(物理領域の因果的閉包性)、言語などで物質の世界で起きている現象意識やクオリアについての信念、判断、報告には、心的世界の現象意識やクオリアが因果的に全く関与していない事になる、という問題。以下チャーマーズ著「意識する心」より引用。 現象判断は心理学の領域にあり、原則として通常の認知科学の方法で還元により説明可能でなければならない。たとえば、われわれはどうして意識についてのこのような主張をする気にさせられるのかということに、物理的もしくは機能的な説明がなければならず、どうやって意識体験についてこのような判断をするのかということにも、同様の説明がなければならない。だとすれば、意識についてのわれわれの主張や判断は、意識とはまったく関係のない語を用いて説明できることになる。さらに強い言い方をすれば、意識はわれわれの意識についての主張や判断を説明する上で関与してこない。こういう結果になることを、私は現象判断のパラドックスと呼ぶのである。 :--デイビッド・チャーマーズ(著)、林一(訳)『意識する心』 第5章 「現象判断のパラドックス」p.226 (太字部分は書籍で傍点) クオリアの問題に関する物理主義的立場に関して、直感的に最も疑わしさを与える論証が哲学的ゾンビまたは逆転スペクトルといった想像可能性(conceivability)にもとづいた議論であるのに対し、意識と物質を独立させた二元論的立場を最も疑わしくさせる論証は、因果と関わるこの現象判断のパラドックスの議論である。この二つの問題(ゾンビおよび逆転スペクトルの問題と、現象判断に関する問題)は、一般に互いに対になって語られる。随伴現象説が抱える大きな問題の一つ〔〔美濃正 「心的因果の可能性をめぐって:因果的排除論証に対する諸反応」 応用哲学会 (2009)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「現象判断のパラドックス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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