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琢如 : ウィキペディア日本語版
琢如[たくにょ]

(たくにょ)は、江戸時代初期の浄土真宗東本願寺第十四代法主〔正式には「本願寺」。一般には通称である「東本願寺」と呼称するので、「東本願寺第十四代法主」と表記した。〕 。「琢」ではなく、「」の字を用いるのが正式の表記である。
学寮(現、大谷大学)の創設、大谷御坊(現、大谷祖廟)の造営と活躍した。

== 生涯 ==
年齢は、数え年。日付は、の正確性、著作との整合を保つ為、旧暦(宣明暦)表示(生歿年月日を除く)とした。また、「本願寺」が正式名称だが、「西本願寺」との区別の便宜上、「東本願寺」と表記した。
* 寛永元年(1625年)、東本願寺第十三代 宣如の第2子(次男)として誕生。母は九条幸家の娘。
 * のちに伯父九条道房の猶子となる。
* 寛永15年(1639年)、得度。
* 承応2年(1653年)、宣如の隠居により第十四代法主を継承。
* 寛文5年(1665年)、渉成園(大叔父徳川家光より寄進)内に学寮を創設する。
* 同年11月、退隠し、東本願寺法主を長男・常如に譲る。
* 寛文10年(1670年)、東本願寺境内の親鸞及び本願寺歴代の仮墓を、教如・宣如の両墓と共に、本願寺発祥地近くの東山大谷(現、京都市東山区)の地に祖廟を移転し、「大谷御坊」と称し造営に着手する。
* 寛文11年4月14日(1671年5月22日)、47歳にて示寂。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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