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琴ヶ嶽 綱一(ことがたけ こういち、 1952年9月24日 - )は、北海道川上郡弟子屈町出身で、1970年代半ばに活躍した大相撲力士。佐渡ヶ嶽部屋に所属していた。本名は竹内 孝一(たけうち こういち)。最高位は西前頭筆頭(1977年5月場所)。現役時代の体格は186cm、114kg。得意手は左四つ、吊り。 == 来歴・人物 == 実家は農家で、牛乳配達のアルバイトや父の内職を手伝うなどした事が、体を作る下地になったという。力士を志したのは、中学3年生の時の事である。 上京して佐渡ヶ嶽部屋に入門し、1967年11月場所にて、15歳で初土俵。翌年1月、「琴緑」の四股名で序ノ口に付いた。 以来順調に番付を上げ、1974年1月、21歳で新十両昇進。結果的に、元小結・琴錦の11代佐渡ヶ嶽親方が育てた最後の関取となった。その後、1976年7月場所で新入幕を果たした。 1977年3月場所では三賞受賞こそ逸したものの11勝4敗と幕内で生涯唯一の2桁勝利を挙げ、翌5月場所では自己最高位となる西前頭筆頭まで番付を上げた。だが、同場所では3勝12敗と大きく負け越し、三役昇進は成らなかった。 1980年以降は幕下と十両を往復し、幕下13枚目の地位で途中休場した1984年3月場所限り、31歳で引退。序ノ口に付いた1968年1月場所から、現役最終場所までの約16年間で、「965番連続出場」という記録を残した。 引退後は年寄・白玉を襲名し、佐渡ヶ嶽部屋付きの親方として後進を指導する傍ら、巡業部委員も務めた。 しかし1995年3月、弟弟子・琴椿(最高位・前頭3)が引退し、年寄・白玉を襲名した事に伴って廃業した。 廃業後は帰郷し、故郷・川上郡弟子屈町にて町役場の職員となった。同郷の大横綱・大鵬の偉業を称える弟子屈町川湯相撲記念館(当時の名称)に勤務し、その相撲談義は人気を博した。 現在は記念館が民間委託となったため、水道課に勤務している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「琴ヶ嶽綱一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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