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琴ヶ梅 剛史(ことがうめ たけし、本名・北山 聡、1963年10月5日 - )は、佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士。富山県婦負郡八尾町(現・富山市)出身。身長181cm、体重187kg。得意技は右四つ、寄り、突き。最高位は東関脇。 == 来歴 == 「花のサンパチ組」(昭和38年生まれ)の一人。昭和54年3月場所、佐渡ヶ嶽部屋から初土俵。当初は本名の北山で取っていたが二代目梅ヶ谷から梅の一字をもらい「琴ヶ梅」と改名する。「午前2時から起きて寺尾や益荒雄と共に相撲教習所へ赴いて稽古をした」その熱心さから〔成功者インタビュー 琴ヶ梅剛志 WONDERLAND INTERVIEW 〕新弟子の頃より期待され昭和59年3月場所で新十両、翌昭和60年3月場所で新入幕を果たした。 その後昭和60年11月場所で新小結、翌昭和61年7月場所に新関脇に昇進。叩かれても落ちない押し相撲を持ち味に、昭和63年には当時連勝記録を伸ばしていた昭和の大横綱・千代の富士と物言いの付く一番(後述)を取るなど上位を大いに苦しめ、当時三役の常連だった逆鉾や栃乃和歌らと共に、「大関候補」とも呼ばれていた。 平成元年7月場所・9月場所と、関脇の地位で2場所連続で10勝5敗の二桁勝利を達成。翌11月場所に唯一の大関獲りに挑んだが、8勝7敗に終わり失敗に終わった(この期間は関脇を6場所維持)。この頃が絶頂期であり、以後は酒好きから来る糖尿病や膝の負傷、腰痛で稽古が不足して前に出る相撲が取れなくなった。1990年代に入るとめっきり力が落ち、はたかれて頻繁に落ちるようになり、「質の良い洗剤でよく落ちますねえ。昔は質の悪い洗剤で落ちなかったんですけど」とNHK大相撲放送の解説を務めていた出羽錦らに残念がられつつ酷評された。そしてついには幕内を維持できなくなり十両に陥落。しかし全盛期の時と変わらない思いで支えてくれた1人の女性ファンと結婚して再起を図った。そうして1度目は11勝4敗の成績で優勝して1場所で戻るも長くはもたず再度陥落、結局三役通算在位18場所だが、大関昇進を果たせず平成9年5月場所を最後に引退した。 引退後は年寄・錣山を襲名。後に大鳴戸に名跡変更し(借株)、佐渡ヶ嶽部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たったが、平成19年11月場所千秋楽を最後に日本相撲協会を退職した。現在では東京・錦糸町と八丁堀で「力士料理 琴ヶ梅」を経営する傍ら、現役時代から仲がよかった寺尾〔琴ヶ梅の引退相撲では最後の取組相手として寺尾を指名し、二人は土俵に上がって勝負していた。尚寺尾は、同じ「花のサンパチ組」だった元横綱・北勝海と元大関小錦の引退相撲でも、共に指名され土俵上で対戦している。〕が運営する錣山部屋の師範代をつとめている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「琴ヶ梅剛史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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