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琴乃富士 宗義(ことのふじ むねよし、1951年11月7日 - )は、北海道虻田郡留寿都村出身で、1970年代半ばから1980年代初めにかけて活躍した大相撲力士。佐渡ヶ嶽部屋に所属していた。最高位は東前頭5枚目(1975年11月場所)。本名は藤沢 宗義(ふじさわ むねよし)。現役時代の体格は181cm、140kg。得意手は右四つ、寄り。 == 来歴・人物 == 幼少時から、相撲取りに憧れていた。留寿都中学校時代の恩師・奈良先生らの紹介で、15歳の時に佐渡ヶ嶽部屋へ入門し、1967年5月場所で初土俵を踏んだ。同期生には、後の関脇・麒麟児らがいる。 1972年11月場所に於いて、21歳で十両に昇進し、1974年7月場所で新入幕を果たした。 しかし、同場所の直前に横綱・琴櫻が引退し、場所中には師匠の第11代佐渡ヶ嶽(元小結・琴錦)が急逝してしまった。そのため、師匠に新入幕の晴れ姿を見せる事は叶ったものの、琴櫻の露払いを務める事はできなかった(ただし、7月場所の番付発表後に行われた神社への奉納土俵入りでは、露払いを務めている)。 当時としては大柄な体格を生かした寄りを得意としたが、怪我が多く、幕内と十両を幾度も往復した。 1975年9月場所では、西前頭11枚目の地位で10勝を挙げ、自身幕内で唯一の2桁勝利を記録(自身唯一の大関戦で魁傑に勝ったが、三賞受賞は逸した)。翌11月場所では、自己最高位となる東前頭5枚目に昇進した。 1977年3月場所では、東十両3枚目で14勝1敗と大勝して初めての十両優勝を飾り、翌5月場所で4度目の入幕を果たした。しかし8日目、豊山との取組中に左大腿部を痛め、9日目より休場。幕内の座を維持するため12日目から再出場に踏み切ったが、13日目より再び休場する事態に陥った。結局同場所では5勝を挙げるに留まり、翌場所、十両へと再陥落した。 その後、1979年9月場所で5度目の入幕を果たすも1場所限りで十両に下がり、以降2度と幕内へ返り咲く事は無かった。 最後は幕下50枚目まで番付を落とし、1982年1月場所後、30歳で現役を引退。その後は年寄・尾車を借株で襲名し、佐渡ヶ嶽部屋付きの親方として、後進の指導に努めた。 1985年11月13日、弟弟子の元大関・琴風が引退して新・尾車親方となった事により、借株を返上して廃業。 1986年7月、東京都新宿区神楽坂に相撲料理店「ちゃんこ料理 琴乃富士」を開店した。 以来、恵(めぐみ)夫人とともに店を経営し、京都府宇治市伊勢田町には支店を出している。余談となるが、主に東海地方において事業を展開する寿がきや食品から、即席カップ麺『琴乃富士のちゃんこラーメン』という商品が販売された事もある。1993年7月には、その半生を綴った著書『ちゃんこ番』を出版している。 2013年には、日本テレビ系バラエティ番組『嵐にしやがれ』内の『東京イイ店クドイ店』コーナーにて、彼ら夫婦が経営する相撲料理店が紹介された(File.19、2013年11月17日放送)。 現役時、双津竜順一(前・時津風親方)と対戦経験があり佐渡ヶ嶽部屋での指導経験を持つ事から「時津風部屋力士暴行死事件」に関連してワイドショーへの出演機会が増え、2007年10月20日、テレビ朝日系討論番組『朝まで生テレビ! 激論“国技大相撲”に未来はあるか?』に「琴乃富士」名義でパネリストとして出演した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「琴乃富士宗義」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kotonofuji Muneyoshi 」があります。 スポンサード リンク
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