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琴代京平 : ミニ英和和英辞書
琴代京平[きん, こと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きん, こと]
 【名詞】 1. koto (Japanese plucked stringed instrument) 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [みやこ, きょう, けい]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

琴代京平 ( リダイレクト:小國狂二 ) : ウィキペディア日本語版
小國狂二[おぐに きょうじ]

小國 狂二(おぐに きょうじ、1903年8月15日 - 1970年代)は、日本の映画監督脚本家スクリプター劇作家演出家小説家である〔キネマ旬報社, p.96-97.〕〔映画世界社, p.133.〕〔作協, p.12.〕〔文藝, p.58.〕〔''小国狂二''、''jlogos.com'', エア、2013年4月1日閲覧。〕〔''小国狂二''日本映画データベース、2013年4月1日閲覧。〕〔''小国狂二''、''小国京二''、''琴代京平''、日本映画情報システム、文化庁、2013年4月1日閲覧。〕〔''小国狂二''日活データベース, 2013年4月1日閲覧。〕〔''小国狂二''東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年4月1日閲覧。〕。新漢字表記小国 狂二〔〔〔〔〔〔。本名山田 常次(やまだ つねじ)〔、あるいは小国 常次(おぐに つねじ)〔〔〔著作権, p.64.〕。一時的に小国 京二とクレジットされることもあり、別筆名に琴代 京平(ことしろ きょうへい)、小国 常次(おぐに じょうじ)がある〔〔〔〔〔''琴代京平''テレビドラマデータベース、2013年4月1日閲覧。〕。
== 人物・来歴 ==

=== 帝国キネマの小國狂二 ===
1903年明治36年)8月15日〔〔〔〔、兵庫県神戸市に生まれる〔。『日本映画監督全集』(キネマ旬報社)を執筆した岸松雄によれば、生年は1905年(明治38年)説もあるといい〔、本名については、『日本映画俳優名鑑 昭和四年版』(映画世界社)に「本名も同じく小國狂二」〔とあるように、従来それが本名とされていたものを岸は否定し、「山田 常次」であるとした〔。『放送年鑑 ラジオ・テレビのすべて 1965』(日本放送作家協会)、『文化人名録 第19版 著作権台帳』(日本著作権協議会)、いずれの「琴代 京平」の項目においても、「小国 常次」が併記されているが、岸によればそれはべつの筆名であるという〔。『文藝年鑑』(日本文藝家協会、1978年)によれば、琴代京平の本名は「小国 常次」であるという〔。
旧制中学校を卒業後〔、関西学院(現在の関西学院大学)に進学するが、1922年(大正11年)、同学を中途退学する〔。新劇の劇団に参加し、座付作者として活動を始める〔〔。マキノ・プロダクションと提携関係にあった実川延松延松映画が製作し、1926年(大正15年)3月19日に公開された『怪刀乱舞』にオリジナルシナリオが採用された記録がある〔〔。同年、 帝国キネマ演芸芦屋撮影所脚本部に入社する〔〔。1928年(昭和3年)には同社を退社、谷崎十郎が主宰する奈良ヤマト映画製作所で、『因果かづら』と『否通魔』を監督したが、同年4月には帝国キネマ演芸に復帰している〔〔〔。
1932年(昭和7年)には、京都の東活映画社脚本部に入社、脚本を量産するが、同社は同年10月に解散している〔〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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