|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 琴 : [きん, こと] 【名詞】 1. koto (Japanese plucked stringed instrument) ・ 千 : [せん ち, ち] 【名詞】 1. thousand 2. many ・ 千歳 : [ちとせ] 【名詞】 1. millennium 2. one thousand years ・ 歳 : [さい] 1. (suf) -years-old
琴千歳 幸征(ことちとせ こうせい、1957年4月22日 - )は、北海道千歳市出身で、1970年代から1980年代にかけて活躍した大相撲力士。佐渡ヶ嶽部屋に所属していた。本名は山本 稔(やまもと みのる)。身長182cm、体重127kg。得意手は左四つ、突っ張り、寄り。最高位は東前頭5枚目(1981年9月場所)。 現在は、若者頭・琴千歳である。 == 来歴 == 中学2年生の時に、佐渡ヶ嶽部屋の三段目力士・紀州洋から部屋の千歳合宿の見学を勧められ、稽古風景を見て同部屋への入門を決意。1971年7月場所に於いて、14歳で初土俵を踏んだ。 同年11月から東京場所の日曜日を除いて中学生力士の本場所出場が認められなくなったが、それ以降は病弱な母を置き去りにできないという理由から、中学卒業まで場所出場を除いて帰郷状態にあった。その間の稽古相手は引退後、千歳市内の寿司屋に勤務していた元・紀州洋が買って出た。 体重約120kgの小兵で怪我が多く幕下で苦労したが、1979年9月場所にて新十両に昇進した。そして同場所では、10勝5敗と大きく勝ち越し、十両優勝を遂げている。 なお、新十両場所で優勝を果たしたのは尾堀(後の小結・大錦)以来、6年4ヵ月ぶりの快挙となった。 突き押し相撲が主体だったが左四つ相撲でも力を発揮し、1981年5月場所では新入幕を果たした。しかし、十二指腸潰瘍を患ったこともあり、幕内に定着することはできなかった。 その後は十両で取ることが多く一時は幕下にも陥落したが、1984年5月場所では、幕内復帰を果たしている。 1986年1月場所では再び幕下まで番付を落とし、以降は十両に復帰することなく同年7月場所直前に引退、同時に世話人へ転身した。 なお、元・幕内力士が世話人に転身したのは、王湖伊津男(1985年11月場所後)に続き2人目である(翌場所後には、同じく幕内経験者の斉須が世話人に転身している)。 現在は若者頭(現在、全員の最高位が十両以上)、世話人共に十両経験者がいるが、かつては基本的に幕下以下の力士が就任するものであった。同門の若者頭・嗣子鵬の廃業に伴い、1991年8月から若者頭に転任した。 最近は、大相撲中継に於ける幕下以下の取組(NHK-BS2→NHK BS1サブチャンネルで放送)に於いて、向正面の解説を務めることがある。 なお、世話人就任時に琴千歳 晃精(-こうせい)と、下の名の字を改めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「琴千歳幸征」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kotochitose Kosei 」があります。 スポンサード リンク
|