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琴国 晃将(ことくに あきまさ、1978年7月10日 - )は、岡山県真庭市(旧真庭郡勝山町)出身で佐渡ヶ嶽部屋所属だった元大相撲力士。本名は作田 幸寛(さくた ゆきひろ)。現役時代の体格は身長186cm、体重157kg、血液型AB型。得意は左四つ、寄り、押し。最高位は西十両4枚目(2009年5月場所)。 == 来歴 == 1993年、先代(12代目)佐渡ヶ嶽親方(第53代横綱・琴櫻)にスカウトされ、中学卒業後入門。入門に至ったのは、先代佐渡ヶ嶽が「今日もランニングに筋トレか。自主的によく体を鍛えているんだな。」と感心したからである。 1994年の3月場所に前相撲でデビュー。9月に序二段、1996年7月に三段目、2000年3月から2002年3月、2002年7月から2006年7月、2006年11月から2008年11月まで幕下。 2007年琴光喜の大関取りの場所で付き人を務め、大関昇進のインタビューでは「付き人が心の支えだった」と琴光喜は答えている。 2008年11月場所、東幕下10枚目で全勝優勝。7勝目を飾る一番の際には花道奥に大関琴光喜、琴奨菊が見守った。11月26日に2009年1月場所での十両昇進が発表された。史上2位タイのスロー出世。 十両昇進後、2場所連続で9勝6敗の成績を修め、2009年5月場所では自己最高位の西十両4枚目までに番付を上げたが、その場所で3勝12敗に終わり東十両14枚目に降格、さらにその7月場所では1勝14敗に終わり、翌9月場所で一気に東幕下13枚目へ陥落した。 幕下陥落後も3場所連続で負け越し、2010年3月場所は三段目陥落間近の西幕下55枚目まで番付を下げた。ここから5場所連続で勝ち越し、2011年1月場所は再び西幕下13枚目まで番付を戻した(この場所は2勝5敗)。2013年3月場所では東幕下3枚目まで番付を戻し、6番相撲を終えて3勝3敗と関取復帰へ望みを繋いだが、7番相撲で十両の木村山との取組に敗れて惜しくも負け越し、関取復帰はならなかった。 2013年7月場所は東幕下5枚目の地位で土俵に上がり、7番相撲の隆の山戦で敗れて3勝4敗となって勝ち越しを逃したばかりか投げを受けた際に腰を強打した。8月下旬に東京都内の病院にて手術を受け、その影響で翌9月場所は全休し〔『相撲』2013年11月号70頁〕〔『相撲』2013年12月号85頁ではその腰の故障が「黄色靭帯骨化症」という難病であることが明らかとなった。〕、11月場所で復帰するも2場所連続負け越し。 2014年1月場所、西幕下60枚目で14日目の能登東戦に勝ったのを最後に、日本相撲協会に引退届を提出した〔史上2位のスロー昇進・元十両琴国が引退「悔いはない」 サンケイスポーツ 2014年1月25日閲覧〕。現役引退後は日本相撲協会に残らないことも明らかにしている〔。同年4月27日に断髪式と結婚披露宴が行われ、止め鋏は師匠の佐渡ヶ嶽が入れた。〔元十両琴国が断髪式&結婚披露宴 nikkansports.com 2014年4月27日20時48分〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「琴国晃将」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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