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琴若 央雄(ことわか ちかお、1954年4月7日 - )は、北海道増毛郡増毛町雄冬出身で、1970年代に活躍した大相撲力士。佐渡ヶ嶽部屋に所属していた。本名は香島 春男(かしま はるお)。最高位は東前頭2枚目(1979年1月場所)。現役時代の体格は197cm、139kg。得意手は右四つ、上手投げ、突っ張りなど。 == 来歴 == 雄冬中学校在学時は、野球部に在籍していた(一塁を守り、チームの主軸打者として活躍したという)。相撲の経験は全くなかったが、中学卒業後地元で港湾作業に従事していた際60kg詰めのセメント袋を2つ持ち運ぶ怪力が評判となり、1971年6月頃、佐渡ヶ嶽部屋のマネジャーである大林(二所ノ関部屋に所属した元力士でもあり、現役時代の名は「飛幡山」(最高位:序二段47枚目)、福岡県出身)という人の勧誘を受けて角界入りを決めるに至った。 間もなく上京して佐渡ヶ嶽部屋に入門し、同年7月場所で初土俵。翌9月場所、「琴の花」の四股名で序ノ口に付いた。同期の初土俵には、後の大関・琴風や小結・大徹など、多くの関取昇進者がいる。 1977年11月、23歳で新十両に昇進。十両はわずか2場所で突破し、1978年3月場所にて新入幕を果たした。 人並み外れた長身を生かした突っ張りの他左上手投げ、小手投げを得意とした。だが、手首が脆いという欠点があったため、幕内上位では活躍できなかった。 1980年以降は肘や膝の故障もあって低迷し、最後は幕下中位まで番付を下げて1985年9月場所後、31歳で廃業した。 廃業後は一時、東京都新宿区内の相撲料理店(「浜力」、店主は元幕下で、宮崎県日向市出身の先代・琴若)に勤務したがのち帰郷し、北海道留萌市内で相撲料理店「琴若」を営んだ。 その長身から「コンコルド」と呼ばれ、同じ1978年3月場所で新入幕し、「ジャンボ」と呼ばれた天ノ山と共に旅客機にちなんだニックネームが付けられていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「琴若央雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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