翻訳と辞書
Words near each other
・ 瑞浪市民図書館
・ 瑞浪市消防本部
・ 瑞浪市立瑞浪中学校
・ 瑞浪市総合文化センター
・ 瑞浪恵那道路
・ 瑞浪町
・ 瑞浪郵便局
・ 瑞浪駅
・ 瑞浪高校
・ 瑞浪高等学校
瑞渓周鳳
・ 瑞渓院
・ 瑞源駅
・ 瑞濱駅
・ 瑞牆
・ 瑞牆 (小惑星)
・ 瑞牆山
・ 瑞牆湖
・ 瑞獣
・ 瑞瑞しい


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

瑞渓周鳳 : ミニ英和和英辞書
瑞渓周鳳[ずいけいしゅうほう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しゅう]
 【名詞】 1. circuit 2. lap 3. circumference 4. vicinity 5. Chou (dynasty)
: [ほう]
 【名詞】 1. mythical Firebird God (sometimes erroneously associated with 'phoenix') 2. male Hinotori

瑞渓周鳳 : ウィキペディア日本語版
瑞渓周鳳[ずいけいしゅうほう]
瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう、明徳2年/元中8年12月8日1392年1月2日)- 文明5年5月8日1473年6月3日))は、室町時代中期の臨済宗夢窓派の和泉国の出身で、俗姓は大伴氏。諱は周鳳。字は瑞渓。臥雲山人とも称される。諡号は興宗明教禅師(文明14年(1482年勅諡)。
10歳のとき応永の乱で父を失った。このため、応永11年(1404年)に京都相国寺無求周伸(むきゅうしゅうしん)を頼って上洛し、応永13年(1406年)に無求を師として出家した。応永20年(1413年)に師の死に逢ってその法を継承し、更に厳中周噩(げんちゅうしゅうがく)らの下で修行した。季瓊真蘂の推挙によって6代将軍足利義教に拝謁してその文筆を高く評価され、永享8年(1436年)に山城国景徳寺住持に任ぜられる。翌年十刹の1つである等持寺の住持となり、永享11年(1439年)に発生した永享の乱後の処理のために義教の命を受けて関東に下向している。永享12年(1440年)に相国寺第50世住持となり、文安3年(1446年)10月に相国寺鹿苑院院主兼僧録に任じられ、後に康正2年(1456年)と応仁元年(1467年)に再任されて死去までに通算3度務めた。引き続き8代将軍足利義政に重用され、文筆の才により室町幕府の外交文書の作成にあたった。外交史書の『善隣国宝記』を編集し、足利義満との朝貢形式の外交を非難している。『臥雲日件録』という日記も著し、今参局烏丸資任有馬持家(子の有馬元家とも)を非難している。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「瑞渓周鳳」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.