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甘粕事件 : ミニ英和和英辞書
甘粕事件[あまかすじけん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こと]
 【名詞】 1. thing 2. matter 3. fact 4. circumstances 5. business 6. reason 7. experience 
事件 : [じけん]
 【名詞】 1. event 2. affair 3. incident 4. case 5. plot 6. trouble 7. scandal 
: [くだん, けん]
 【名詞】 1. matter 2. case 3. item 

甘粕事件 : ウィキペディア日本語版
甘粕事件[あまかすじけん]

甘粕事件(あまかすじけん)は、関東大震災直後の1923年9月16日アナキスト大杉栄と内縁の妻伊藤野枝、大杉の甥橘宗一の3名が不意に憲兵隊特高課に連行されて、憲兵隊司令部で殺害され、遺体が井戸に遺棄された事件である。被害者の名前から大杉事件ともいう。
軍法会議の結果、憲兵大尉(分隊長)甘粕正彦と同曹長森慶次郎ら5名〔平井利一伍長の関与は証拠不十分とされたので、判決で不法行為を行ったとされたのは4名。〕の犯行と断定されたが、憲兵隊の組織的関与は否定され、疑われた上級の命令者の存在などは明らかにされなかった。
亀戸事件朝鮮人虐殺事件と共に代表的な戒厳令下の不法弾圧事件。
==事件の経緯==

===事件の発覚===

関東大震災で東京や神奈川が混乱に陥るとして戒厳令が発せられていたさなか、1923年9月16日、大杉栄は、内縁の妻伊藤野枝(作家)を連れ、鶴見区三笠園〔に住居があった辻潤(伊藤の前夫)を見舞ったが、辻が留守であったので、近くの神奈川県橘樹郡鶴見町〔現在の横浜市鶴見区〕に住む実弟の大杉勇宅を訪問。偶然、大杉の末妹あやめとその息子の橘宗一(6歳)〔父親は橘宗三郎でこの時は渡米中で不在だった。宗一はアメリカとの二重国籍を持っていて、失踪後、あやめはアメリカ大使館に駆け込んで真相究明を訴えたので、隠蔽が難しくなった。〕が滞在していて、宗一が「東京の焼跡を見に行きたい」とういうので、これを同行して東京に戻ることになった。
夕刻に自宅付近に帰ってくるが、伊藤が果物を買っていると、張り込み中の憲兵隊に強引に連行され、淀橋警察署〔現新宿警察署。〕から自動車で麹町憲兵司令部に連れて行かれて消息を絶った。行方不明になった大杉を、その友人で読売新聞記者であった安成二郎〔安成は、村木源次郎(アナキスト)と共に、大杉一家の死体検分と火葬にも立ち会った。〕が探すが、見つからずに事件性を直観。家人が警察に捜索願を出した。
警視庁は捜索願を受けて驚き、調べてみたところ、淀橋警察署が憲兵隊による検束を報告した。そこで警視庁が憲兵隊に問い合わせると、憲兵はすでに帰したと返答した。警視庁は行方不明の大杉が何か良からぬ計画でも行っているのではないかと思い、血眼で行方を捜した。
大杉はアナキストの大立者であり、18日の報知新聞の夕刊で「大杉夫妻が子供と共に憲兵隊に連れて行かれた」という記事が出て、噂はすぐに広まった。以前より陸軍が何かやるらしいと聞いていたが沈黙していた警視庁官房主事の正力松太郎後述)は、子供が関わっていたことを憂慮して、警視総監湯淺倉平に相談。湯淺総監は新任の後藤新平〔後藤新平はこの年の6月にアドリフ・ヨッフェを招請して日ソ国交回復の端緒をつくったことで、陸軍の一部から「赤」呼ばわりされていたので、陸軍との関わりを避けた。〕内相〔当時、警視庁は内務省管轄。〕に報告するが、後藤に自分では対処できないとして総理に報告するように言われて、湯淺総監は直接、総理大臣山本権兵衛に会って報告した。山本首相が閣議で田中義一陸相に聞くと「知らん」と言い、戒厳司令官福田雅太郎を呼んで問いただしてみても関知していなかったので、憲兵隊の捜査が開始された〔。するとすぐに内部の犯行が明らかになった。田中陸相が改めて憲兵司令官小泉六一を呼んで問いただすと、小泉は甘粕の犯行を認めた上で賛美したため、田中は叱責して小泉に謹慎を命じた。憲兵隊司令部では9月19日中には甘粕と森が衛戍監獄に収監された〔。また古井戸から遺体が引き上げられた〔1923年9月21日付九州日報号外〕。
9月20日、「甘粕憲兵大尉が大杉栄を殺害」の一報を大阪朝日新聞時事新報号外で発し。大阪朝日新聞は東京からの記者の電話でこの日は2度号外を出した〔東京朝日新聞は震災と検閲で印刷できず。このため大阪朝日新聞が発行した。〕。時事新報は記者を憲兵隊本部に張り込ませ、大杉だけではなく伊藤野枝と子供が殺されたこと、現場の井戸も確認した。
軍は突如として9月20日付で、東京憲兵隊渋谷分隊長兼麹町分隊長であった甘粕正彦憲兵大尉と東京憲兵隊本部付(特高課)森慶次郎憲兵曹長が「職務上不法行為」を行ったとして軍法会議に送致し、福田雅太郎戒厳司令官を更迭、憲兵司令官小泉六一少将と東京憲兵隊長小山介蔵憲兵大佐を停職処分とすると発表した。また同時に本件に関する新聞記事を差し止める情報統制の決定をした。以後、新聞各紙は核心部分をすべて○○の伏字として事件を報じた。報道は止められたが、情報は各社に電話で拡散したため、検閲を掻い潜った九州日報は21日にも号外を出している。
厳戒令下で不眠不休で治安維持に当たっていた軍隊に、世論は普段反軍的な者さえも含めて支持や敬意を表明していたが、突然の司令官更迭について新聞で詳細が報じられないことから、何事が起こったのかと騒然となった。流言飛語が盛んになっていたこともあり、人心不安が高まった〔。
批判が強まる中で、軍は前日の予審の結果を受けて9月25日に第一師団司令部〔軍法会議は同師団の管轄となった。〕発表として、甘粕大尉が16日の夜に大杉栄と他2名を某所に連行して殺害した、と公表したが、他2名が何者であるかは公表させなかった。10月8日に記事差し止め処分が解除されると、新聞は他2名が、伊藤野枝と橘宗一であることを報じ、日本を騒がせるアナキストであり恋愛スキャンダル(日蔭茶屋事件)でも世間に有名になった大杉・伊藤の二人に加え、6歳の小児までも殺されたとあって世間は騒然となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「甘粕事件」の詳細全文を読む




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