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生樹の御門(いききのごもん)、または生樹の門(いききのもん)は、愛媛県今治市大三島の大山祇神社奥の院に生育している楠(クスノキ)の巨樹である。株立ちの総幹周は15.5m〔総幹周は愛媛県最大(全樹種中)。主幹周は愛媛県第4位、クスノキとしては「土居の大楠(11.4m)」に次いで2位。〕で、愛媛県の天然記念物に指定されている。 名称は根本の空洞それ自体が奥の院への参道となっているため、生きている樹の門ということからこの名がある〔『大三島を中心とする藝豫叢島史』p.17〕。「生樹の御門」は現地案内板にある名称〔、「生樹の門」は愛媛県の天然記念物としての名称である〔。 == 由来 == 大三島の大山祇神社にはクスノキの巨樹が集中しており、「大山祇神社のクスノキ群」として国の天然記念物に指定されている〔。生樹の御門はこの「クスノキ群」から東に150mほどのところに単独で存在する。大山祇神社の御神木である「乎知命御手植の楠」ほど著名ではないが、ほぼ同サイズの主幹周があり〔乎知命御手植の楠も幹周11mで同サイズ〕、大サイズの副幹、巨大な根上りがあることからこちらのほうが迫力がある。根周りは実に32mにも及ぶ〔。国の天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」には含まれず、別途1951年(昭和26年)11月27日に愛媛県の天然記念物に指定された〔今治市 大三島地域文化財 〕。 樹齢は正確なことは不明であるが、参考文献の『大三島を中心とする藝豫叢島史』〔『大三島を中心とする藝豫叢島史』p.15〕は2000年、案内板は3000年〔現地案内板〕としている。 この樹はかつて単幹のクスノキであったが、現在は双幹のクスノキになっている〔ただし元々の主幹はほぼ枯れている〕。明治時代に樹勢が衰え枯れるかに見えたが、根株からの萌芽更新により復活した。大正時代には白化した幹と、その脇にあるひこばえが撮影されている〔『瀬戸内文化の研究-史跡大三島』p.38〕。今日では枝葉が元の主幹を覆い尽くしているためこのような姿は撮影できない〔。特に南側の根株から出たひこばえが樹勢旺盛で、新しい幹に成長している。幹には葛やラン類が着生しており、周りにはこのクスのひこばえやシュロが繁茂する。あたかも一つの森のようだと形容される。 根本の洞が自然の通路になっており、奥の院への参道を通している。中は拡張され石段も引かれている。洞のサイズは、幅2m、高さ3m、長さ7mほどあり、大人が楽に通れるサイズとなっている〔。長寿信仰があり、長寿を願う人々によって樹皮が削られ〔木片を長寿の薬とした。このクスの木片が市にて販売されたこともあるという。『大三島を中心とする藝豫叢島史』p.17〕衰退の原因となった〔『瀬戸内文化の研究-史跡大三島』p.37〕。また、洞をくぐると長生きできるなどといわれている。洞は一時閉鎖されていたが、現在は解放されている。 このクスを抜けた先は大山祇神社の奥の院(元神宮寺)となっており、小さな阿弥陀堂と仏足石がある〔『瀬戸内文化の研究-史跡大三島』pp.34-36〕。周りは畑や林地になっていて、訪れる人も少なく静かな雰囲気になっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「生樹の御門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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