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生田花朝女 : ミニ英和和英辞書
生田花朝女[いくた かちょうじょ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せい, なま]
  1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [はな]
 【名詞】 1. flower 2. petal 
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning
: [じょ]
 【名詞】 1. woman 2. girl 3. daughter

生田花朝女 : ウィキペディア日本語版
生田花朝女[いくた かちょうじょ]

生田 花朝女(いくた かちょうじょ、1889年明治22年)11月22日1978年昭和53年)3月29日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本画家
== 来歴 ==
北野恒富の門人。本名、生田稔(みのり)。始め花朝と号し、のちに花朝女と号した。1889年、大阪市に生まれる。父は国学者の生田南水。父に俳句を教わり、藤沢黄波に漢学を学び、1913年菅楯彦に師事してまず大和絵有職故実を学んでいる。その後、北野恒富に入門、白耀社にも所属した。1925年の第6回帝展に出品した「春日」が初入選を果たした。翌1926年の第7回帝展に出品の「浪花天神祭」が、帝展における女性画家による初の特選となっており、当時は注目を集めた。さらに翌1927年、第8回の帝展に「四天王寺曼荼羅」を無鑑査で出品、これ以降、1934年の第15回帝展まで連続入選をしている。また、この間、1930年、第2回聖徳太子奉讃美術展には「春宵興会」を無鑑査出品したほか、1936年秋に開催の文展招待展に「泉州脇の浜」という作品を招待出品をすると、その後、1939年1941年新文展に無鑑査で出品している。
第二次世界大戦後は、1949年の第5回日展に「投壺」を依嘱出品、1954年の第10回日展、1967年の第13回日展にも作品を依嘱出品している。花朝女は樗会を主宰し、主として大阪の風物を描き続けており、その功績により、1952年に大阪市民文化賞を受賞、また、1958年には大阪府芸術賞を受賞した。1978年3月29日、大阪・帝塚山の自宅で死去。享年88。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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