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田上山(たなかみやま)は、滋賀県大津市南部の田上(たなかみ)地区から大石地区に連なる標高400~600メートルの山々の総称である〔とっておき旅>大津・田上山(たなかみやま) 読売新聞2012年11月21日配信〕。主峰は不動寺のある太神(たなかみ)山で、この他笹間(ささま)岳、国見(くにみ)山などで、ほぼ全域が花崗岩を主体とする〔〔大津の歴史事典>田上山 2013年10月5日閲覧〕。水晶や黄玉石、トパーズを産出する〔。田神山とも書く〔。 == 概要 == 太古の昔は檜の枯木が鬱蒼と生い茂っていたが、藤原京造営やその後の平城京遷都や寺院の造営などに際して、瀬田川、木津川を利用した水運による利便性と山中の木々の良質さから田上山のヒノキを数万本伐採して用いたとされている〔〔〔田上山の伐採 (国土交通省近畿地方整備局 巨椋池のみちくさトリビア 2013年10月5日閲覧)〕。このため田上山ははげ山となり、雨が降るたびに大量の土砂が瀬田川に流れ込み、大規模な氾濫を繰り返してきたため、田上山の関津狐ヶ谷に谷止を計画し設計したオランダの技術者デ・レーケや、防砂技術の集大成「水理真宝」を著した市川義方、ヒメヤシャブシやアカマツなどを植林し緑山郡長と慕われた松田宗寿など、いろいろな人が田上山の砂防に取り組んできた〔。この一連の土木事業には地元の人々も参加したが、大正期の地元民の手記には、「砂防工事へとワラジをはいて肩の痛い芝運搬にと、天びん棒の下で目をむいて数年間」という言葉が残されており、当時の作業の過酷さが伝わってくる〔。江戸時代から現在に至るまで緑化が続けられているがいまだ植生は回復していない。 1885年(明治18年)、日本最大の隕石である田上隕石(たなかみいんせき)が、滋賀県大津市の田神山で発見された。 古来、木々の名産地として知られていた田上山ではあるが、それ以外にも明治期には岐阜県恵那地方、福島県石川地方とともに国内の花崗岩鉱物の三大産地の一つとして数えられていたほどである〔湖南アルプスの麓で石の輝きに触れる 琵琶湖博物館協議会>田上鉱物博物館 2013年10月5日閲覧〕。しかしこの山の花崗岩鉱物の中でも、特に産出量が多い水晶は加工に向いていなかったことから長年放置されており、明治期にはいって外国人商人がその存在を見つけるまでほとんど無価値のものとして扱われていた〔。明治期に入り、外国人宝石商がこれに目をつけると早速地元民を雇いこれを手当たり次第拾わせ、トパーズとして海外へ輸出したが、この時の山内からの産出分の内、国外への持出総量は明治年間だけでも700kgに及んだとされている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田上山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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