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田中佐和(たなかさわ、1947年10月29日-)は、新宗教団体、神霊の家の祭主(代表)である。 神霊の家を創立した田中穂光の次女として生まれた。小学二年生(8歳)の時に、霊能開発の手ほどきを受けずして自然と霊能が開花したという。また姉の香世も霊能を持ち、昭和30年頃から姉妹が揃って、神霊判断を始めたことでマスコミから注目された。 中学生の頃にはラジオ大阪の番組に出演、また帝塚山短期大学の学生となった頃から朝日放送の制作番組である仁鶴・きよしのただいま恋愛中に出演した。この番組は一時期、中断されたが全国放送だったために、人気となり知名度があがり、1976年には「お答えいたします」というシングルもリリースされた(ブラックレコード BC-1008、ユニット名:ニッチモ&サッチモ+田中佐和)。 神霊判断を答える時に、拍手を2回打って必ず「お答えいたします」と言ってから答え始めるので、当時の話題となった。その他「青い空が見えます」、「冬の夜空が見えます」などと、独特なたとえを表して神霊判断を受けた人の状態を示した。 短大を卒業した後は、帝塚山学院大学に編入し、テレビ・ラジオ・雑誌などのマスコミはもとより、面接指導を行い学生と占師の多忙な生活を送る。なお昭和49年以降は面接指導から手紙などによる通信指導を行っている。 神霊の家では、彼女は神霊判断を担当し、祭事の秘儀全般を担当しているという。なお、現在はマスコミに出ることはほとんどない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中佐和」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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