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田中傑山 : ミニ英和和英辞書
田中傑山[たなか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [けつ]
 【名詞】 1. excellence 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 

田中傑山 ( リダイレクト:田中盛親 ) : ウィキペディア日本語版
田中盛親[たなか もりちか]
田中 盛親(たなか もりちか、慶安2年(1649年) - 享保18年7月24日1733年9月2日)〔死亡年月日については「笑岳寺墓地由緒墓」参照。また、死亡年については「鹿児島士人名抄録」にも享保18年とある。〕)は江戸時代薩摩藩武士剣術太刀流剣客で、2代目宗家。は盛親〔「笑岳寺墓地由緒墓」参照〕。通称は喜之助。入道して傑山とす。本姓は佐々木源氏。一般的には田中傑山で知られ、太刀流も傑山流といわれることがある。
弟子に大山貞政や野崎次郎右衛門、常陸流開祖和田助員飛太刀流の小野郷右衛門、大脇主右衛門がいた。この5人の弟子は演武館師範を勤める。
== 経歴 ==
寛政2年(1790年)の「諸家武芸由来」によると父は田中雲右衛門で、弟は雲左衛門という。父の雲右衛門とともに国分より鹿児島に移り、当初は、父が小納戸役を務めていた関係で城内に住んでいたが、のちに西田村に移る。西田村に移る前に火事で太刀流関係以外の、系図などの家蔵資料を焼失したという。
当初は伊勢松浦之丞貞由より示現流剣術を学び、父が創始者である太刀流を継がなかったが、父と試合をして負けたために太刀流を継いだと「示現流聞書喫緊付録系図」にある。また、「人物伝備考付録(撃剣)」では島津光久公命により太刀流を継ぐという。結局「傑山の名声世の知る所なり」といわれるほど有名となる。
菩提寺は西田村の医王山薬王寺。墓はのちに笑岳寺墓地に移る。法号は傑山昌英居士。
田中傑山の嫡家は3代で故あって絶えたが、弟・雲右衛門家が太刀流を相伝し、その3代目で傑山の外孫の田中喜助は演武館師範となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「田中盛親」の詳細全文を読む




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