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田中 国夫(たなか くにお、1921年1月18日 - 2000年2月10日)は日本の針灸師、マッサージ師。田中マッサージ院(姫路市)創設者。18歳で失明後、福祉活動に生涯を捧げる。兵庫県盲人福祉協会会長、姫路市身体障害者協会会長などを歴任。妻は田中静子(旧姓:長岡)、甥は建築家、長岡正芳。 == 生い立ち == 兵庫県但馬地方に生まれ、学力優秀、スポーツ万能であった国夫は、18歳の時に突然、脳の視神経の病気により失明する。国夫の母はあらゆる病院に行き、診断してもらうが良くなることはなかった。第2次世界大戦が勃発。盲人となった国夫は戦争に行けなかったことを大きなコンプレックスとして感じ、そのパワーを後の人生へと転化することとなる。持ち前の知力と行動力で兵庫県盲学校を卒業。盲人弁論大会では周囲を驚かすほどの雄弁をみせる。戦後、焼け野原となった姫路にマッサージ院を開業。同様な盲人へ手をさしのべ、盲人も自立し、自らお金を稼ぎ生きていくことを教えた。物のない時代、国夫自身は何も食べずとも彼らに職と食を与え続けた。同郷である美方郡村岡町から長岡静子を妻として迎える。義父、長岡勇次は、国夫のことを我が子のように慕い、物もお米のなかった時代、村岡から姫路までリュックにお米を詰め、当時の汽車に乗り長い道中を何度も通った。国夫は勇次への感謝を忘れず生涯、妻の実家を大切にする。 記憶力に優れ、徳のある国夫は多くの人脈をつくり、福祉の活動を積極的に行う。暇さえあれば国会中継や、テープやラジオからの情報を全て記憶し、誰よりも知識と見識をもっている国夫は、選挙になれば必ず演説の依頼がくるなど、国夫の情の深い話に感動した人々から様々な講演依頼がくる。兵庫県盲人協会会長、姫路市身体障害者協会会長、日本盲人協会理事など多くの役を望まれ、自らも積極的に活動した。妻、静子は、目の不自由でありながら多くの活動をこなす国夫や、忙しくなった田中マッサージ院の経営など、全てを献身的に支え続けた。平成4年、勲五等双光旭日章を受章した国夫は、夫婦で天皇陛下より労いのお言葉を頂いた。このとき、失明し戦争に行けなかった悔しさや、戦後“なにくそ”と一代で田中マッサージ院を築き上げるまでの苦しさなど、様々なことが脳裏を横切ったという。しかし何よりも妻、静子の手を握りしめ、静子への言葉にならない感謝とお礼でいっぱいであったという。 戦後の姫路市の街を先進的な福祉のまちに導き、多くの盲人に希望と勇気を与え、平成12年2月10日、80年の人生の幕を閉じる。この日、日本国は国夫を従六位に叙するという通知を送る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中国夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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