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田中 慎次郎(たなか しんじろう、1900年7月28日 - 1993年7月2日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞社取締役出版局長、総理府原子力委員会参与、社団法人日本原子力産業会議参与などを務めた。 == 人物・経歴 == 埼玉県出身。旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業後、1926年朝日新聞社入社。1940年から朝日新聞社政治経済部長を務め、第二次世界大戦、太平洋戦争下の政治経済の報道を行っていたが、1942年3月15日にゾルゲ事件に関し、入社同期の尾崎秀実に対し大日本帝国陸軍の南部仏印進駐作戦を事前に漏らしたとする軍機保護法違反容疑で逮捕された。同年4月15日から休職となり、6月5日には釈放されたものの、6月15日に退社させられた。同日編集責任担当者だった緒方竹虎も解職となる〔朝日新聞1998.7.16朝刊19頁〕〔朝日新聞2007.12.3夕刊3頁〕。 1945年の日本の降伏後に朝日新聞社に再入社し、1946年4月16日から論説副主幹を務めたのち、今後は原子力の時代が来るとの考えから、自ら希望して調査研究室研究員に就任。1948年11月から調査研究室長として、原子力研究に従事し、スマイス報告『原子力の軍事利用』の翻訳などを行った。監査役を務めていた1955年にジュネーブで第1回原子力平和利用国際会議(ICPUAE)が開催された際には特派員として取材にあった。1956年に設置された総理府原子力委員会で参与に就任。1959年に朝日新聞社取締役出版局長に就任し、『朝日ジャーナル』を創刊。退社後も原子力評論などを行った。社団法人日本原子力産業会議参与・企画委員・法制委員なども歴任。「遺伝に及ぼす放射能の影響」の重大性を早くから指摘していた〔朝日新聞2011.11.4夕刊11頁〕。1993年7月2日、膵臓癌のため長野県小諸市の自宅マンションで死去した。享年92〔朝日新聞1993.7.2夕11頁〕〔「原発産業のカネとヒト」 九州国際大学〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中慎次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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