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サムネイル 田中 正大(たなか まさひろ、1939年2月8日 - 2009年4月16日)は、音楽家、元NHK交響楽団首席ホルン奏者。元武蔵野音楽大学教授。日本におけるホルン界の草分けとして、ソロ奏者、また室内楽の先駆者として常に指導的な立場にあった。 翻訳書に「写真で学ぶフレンチホルンのアンブシュア」(P.ファーカス著/パイパーズグループ1974年発行)、監修・共訳に「金管楽器を吹く人のために」(P.ファーカス著/パイパーズグループ1980年発行)等がある。 福岡県嘉穂郡二瀬町片島(現:飯塚市)にて、旧制嘉穂中学の数学教師であった田中親(チカシ)とハルキの次男として、昭和14年2月14日生。嘉穂高校の吹奏楽部では、トランペットを吹いていたが、3年生の時に楽器庫にあったホルンを見付けて、武蔵野音大にホルンで入学した。嘉穂高校逍遙歌を作曲 クラウス・マンスフェルト、マックス・ツィモロンに師事。1971〜72年日本フィルのホルン奏者、1973年NHK交響楽団に入り、のち首席奏者を務める。東京八重奏団メンバーとしても室内楽に活動。1976〜77年ウィーン留学、R.フロイントに学んだ。66〜76年桐朋学園大学、70年から武蔵野音楽大学で指導。京都市立芸術大学助教授も務めた。訳書にP.ファーカス「金管楽器を吹く人のために」「フレンチホルンのアムブシュア」。 音大在学中に、日本のオーケストラとして戦後初めての海外演奏旅行で、1960年秋に近衛秀麿が引率したABC交響楽団のヨーロッパ演奏旅行に参加したが、演奏旅行中に資金が底をつきローマで年を越して帰国した。帰国後、日本フイル(旧)に入団したが、その後、1972年新日本フィルが設立され首席ホルン奏者として移籍し、小澤征爾指揮の定期演奏会で、モーツァルトのホルン協奏曲3番を演奏した。 1973年にNHK交響楽団に入団、のち首席奏者を務める。東京八重奏団メンバーとしても室内楽に活動。76〜77年ウィーン留学、R.フロイントに学んだ。 1966〜76年桐朋学園大学、70年から武蔵野音楽大学で指導。京都市立芸術大学助教授も務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中正大」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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