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田中正大 : ミニ英和和英辞書
田中正大[たなか まさひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中正 : [ちゅうせい]
  1. (adj-na,n) impartiality 2. fairness
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
正大 : [せいだい]
  1. (adj-na,n) fairness 2. justice

田中正大 : ウィキペディア日本語版
田中正大[たなか まさひろ]
サムネイル
田中 正大(たなか まさひろ、1939年2月8日 - 2009年4月16日)は、音楽家、元NHK交響楽団首席ホルン奏者。元武蔵野音楽大学教授。日本におけるホルン界の草分けとして、ソロ奏者、また室内楽の先駆者として常に指導的な立場にあった。
翻訳書に「写真で学ぶフレンチホルンのアンブシュア」(P.ファーカス著/パイパーズグループ1974年発行)、監修・共訳に「金管楽器を吹く人のために」(P.ファーカス著/パイパーズグループ1980年発行)等がある。
福岡県嘉穂郡二瀬町片島(現:飯塚市)にて、旧制嘉穂中学の数学教師であった田中親(チカシ)とハルキの次男として、昭和14年2月14日生。嘉穂高校の吹奏楽部では、トランペットを吹いていたが、3年生の時に楽器庫にあったホルンを見付けて、武蔵野音大にホルンで入学した。嘉穂高校逍遙歌を作曲
クラウス・マンスフェルト、マックス・ツィモロンに師事。1971〜72年日本フィルのホルン奏者、1973年NHK交響楽団に入り、のち首席奏者を務める。東京八重奏団メンバーとしても室内楽に活動。1976〜77年ウィーン留学、R.フロイントに学んだ。66〜76年桐朋学園大学、70年から武蔵野音楽大学で指導。京都市立芸術大学助教授も務めた。訳書にP.ファーカス「金管楽器を吹く人のために」「フレンチホルンのアムブシュア」。
音大在学中に、日本のオーケストラとして戦後初めての海外演奏旅行で、1960年秋に近衛秀麿が引率したABC交響楽団のヨーロッパ演奏旅行に参加したが、演奏旅行中に資金が底をつきローマで年を越して帰国した。帰国後、日本フイル(旧)に入団したが、その後、1972年新日本フィルが設立され首席ホルン奏者として移籍し、小澤征爾指揮の定期演奏会で、モーツァルトのホルン協奏曲3番を演奏した。
1973年にNHK交響楽団に入団、のち首席奏者を務める。東京八重奏団メンバーとしても室内楽に活動。76〜77年ウィーン留学、R.フロイントに学んだ。
1966〜76年桐朋学園大学、70年から武蔵野音楽大学で指導。京都市立芸術大学助教授も務めた。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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