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田中清司 : ミニ英和和英辞書
田中清司[たなか きよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 

田中清司 : ウィキペディア日本語版
田中清司[たなか きよし]
田中 清司(たなか きよし、1948年1月1日 - )は、日本のドラマースタジオ・ミュージシャン
== 人物・来歴 ==

*1963年ジャニーズのバックバンド「ジャニーズ・ジュニア」のドラマーとなる。ジャズ喫茶などでもライブ活動を行った。
*1968年4月、松木恒秀らと、5人組のGSバンド「ジュニア・ボーイズ」を結成し、「田中きよし」の芸名で渡辺プロダクションに所属。同年秋に東芝レコードからシングル『謎の瞳』でレコードデビューすると報じられたが、結局中止となった。(そのため、この曲のプロモ盤レコードにはプレミアが付き、ネットオークションでは約10万円もの値が付いている。) 1969年、バンド名を「ジュニア・ボーイズ」から「ジ・アルファ」に改名。更にその後メンバーを一人追加し、「グリーン・グラス」へと改名。1970年にシングル 『一人でいるよりあなたがいれば c/w ベイビー・アイ・ニード・ユー』 でやっと念願のレコードデビューを果たした。
*グリーン・グラスでの活動の傍ら、NHKステージ101』の専属バックバンド「リズム101」に、松木恒秀や武部秀明(元「アダムス」の千原秀明、愛称:チー坊、2002年没)らと共に参加。この時は、「田中清」の名で活動していた。番組の収録以外でも、番組関係のレコーディングやライブがある時にはバックバンドとして参加した。
*グリーン・グラス解散後は、1971年にジャニーズ時代の盟友・穂口雄右らと「ピープル」名義でシングルを1枚リリース。更に、松木恒秀や武部秀明らと共に結成した「稲垣次郎とソウル・メディア」や、武部や柳田ヒロらと結成した「サンズ・オブ・サン」でもレコードデビューを飾るなど、数々のバンド活動を経た後、スタジオ・ミュージシャンに転向。
*1972年 - 1976年まで、筒美京平の第2期&第3期リズムセクションのメンバーを務める。
*榊ひろと著『筒美京平ヒットストーリー 1967‐1998』には、筒美京平が用いたミュージシャンについて次のように書かれている。「ミュージシャンでは60年代からのジャズ系リズム・セクションを基盤としながらも、しだいにギターに水谷公生と矢島賢、キーボードの栗林稔、ベースの武部秀明、ドラムスの田中清司などを加えて、ロック/ソウル色の強いサウンドのトレンドに対応していく。従来のジャズ系プレイヤーとGSなどロック系コンボ出身の若手ミュージシャンとの世代交替は、73年頃までに完了しているものと思われる。」なお、ここでのジャズ系プレイヤーとは、石川晶/猪俣猛(ドラムス)、江藤勲/寺川正興(ベース)、杉本喜代志(ギター)、飯芳馨(ピアノなど)らのことである。
*1972年には「赤い鳥」のレコーディング (『パーティー』)、「RCサクセション」のレコーディング (アルバム『楽しい夕べに』)、1973年には吉田拓郎のバックバンド(『LIVE'73』)、頭脳警察のレコーディング(『誕生』、『仮面劇のヒーローを告訴しろ』)に参加。また、「かぐや姫」や「」の バックも担当する。
*1974年6月、沢田研二のバックバンドでもあった「井上堯之バンド」に、原田裕臣の後任として参加。テレビドラマ『寺内貫太郎一家』や『傷だらけの天使』の音楽、また、沢田研二の様々な楽曲のレコーディングに参加した。後に鈴木二郎と交代で脱退。
*1975年に、水谷公生(元「アウト・キャスト」や「アダムス」の水谷淳)、武部秀明、渋井博と共に、「Dig It」というバンドを結成、南こうせつのバックを務めた。こうせつの2ndアルバム『ねがい』の裏ジャケットには、彼らのフォトが使われている。
*1975年のつま恋オールナイトコンサート(「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」)に南こうせつ with 水谷バンドとして出演した。
*1976年TBSドラマ『いごこち満点』の音楽担当であり作曲家の東海林修の直接指導のもと、バンド「ショウジコーポレーション」名義でレコーディングを行った。
*1977年大野克夫後藤次利らと共に、庄野真代のアルバム『ぱすてる331/3』や越路吹雪のアルバム『一寸おたずねします』などに参加。
*1980年に「井上尭之バンド」が解散したことで、新しく「大野克夫バンド」が誕生。田中もメンバーとして参加し、テレビドラマ『太陽にほえろ!』などの音楽を担当した。
*1980年、萩原健一のツアーにバックバンド「DONJUAN ROCK'N ROLL BAND」として、原田裕臣と共にツインドラムで参加。1981年1月の最後の「日劇ウェスタンカーニバル」出演まで行動を共にした。
*自身のレコーディングとしては、1980年頃に秋山一将、坂本龍一、後藤次利と4人で、『New York』というアルバムを出している。
*1985年7月27日に行われた「ONE LAST NIGHT IN つま恋」では、小室等、チト河内、柳田ヒロ、後藤次利と共に「六文銭」として出演し、吉田拓郎のバックを務めた。
*2004年8月7日に放送されたNHK総合『第36回 思い出のメロディー』に大野克夫バンドとして出演し、『太陽にほえろ!』『名探偵コナン』『傷だらけの天使』のテーマ曲をメドレーで演奏した。メンバーは大野克夫(ハモンドオルガン、ピアノ)、村岡建(サックス)、斎藤ノブ(パーカッション)、土方隆行(ギター)、樋沢達彦(ベース)、原田末秋(ギター)、田中清司(ドラム)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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