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田中 無事生(たなか ぶじお、1885年(明治18年)10月〔『人事興信録』第14版 下、タ50頁。〕 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、福岡県若松市長。 ==経歴== 三重県出身。田中健造の長男として生まれる〔。無事に育つようにと「無事生」と命名された〔『茨城県政と歴代知事 : 戦前45名の人物像』173-176頁。〕。第七高等学校造士館を卒業〔。1910年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1911年、内務省に入省し京都府属となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』197頁。〕。 以後、京都府竹野郡長、同府南桑田郡長、滋賀県理事官、徳島県警察部長、鳥取県書記官・内務部長、大分県書記官・内務部長、滋賀県書記官・内務部長、長野県書記官・内務部長などを歴任〔〔『日本の歴代知事』第3巻 上、543頁。〕。「万年内務部長」といわれた〔。 濱口内閣により1929年7月5日、高知県知事に登用された。交通関係の土木事業の実施に尽力。また、農民の県産米検査反対運動が激しいため、制度の撤回を決定した〔。1931年6月27日、茨城県知事に転任〔『新編日本の歴代知事』250頁。〕。不況による県財政の悪化に伴い経費削減を実施。一方、必要不可欠な失業対策などの経費を増額し、繭検定所の新設、密漁船取締専用船の建造、茨城会館の建設を進めた〔。1931年12月18日に知事を休職〔『官報』第1493号、昭和6年12月19日。〕。1932年1月29日、依願免本官となり退官した〔『官報』第1523号、昭和7年1月30日。〕。 1934年5月5日、若松市長に就任し、市長を一期務めて1938年5月4日に退任〔『北九州市史 近代・現代 行政社会』1068頁。〕。1939年7月、軍用保護馬鍛錬中央会常務理事に就任〔『人事興信録』第13版 下、タ50頁。〕。その後、理研葡萄酒 (株) 社長、日本馬事会監事を務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中無事生」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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