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田中 王堂(たなか おうどう、1868年1月24日(慶応3年12月30日) - 1932年(昭和7年)5月9日)は日本の哲学者、評論家。王堂、王堂学人は号で、本名は喜一。早稲田大学文学部教授。 シカゴ大学でジョン・デューイの教えを受け、ウィリアム・ジェームズやジョージ・サンタヤーナの影響を受ける。プラグマティズムを基にして、評論活動をおこなう。 == 略歴 == *1867年(慶応3年) - 12月30日、武蔵国入間郡中富村(現・所沢市中富)に生れる。父は田中七郎、母ははま。 *1873年(明治6年) - 中富村公立富應学校に入学。 *1881年(明治14年) - 入間高麗郡立中学校に入学。深井氏の養子となるが、上京。 *1883年(明治16年)~1887年(明治20年) - 東京同人社、東京英和学校(前・青山学院)、東京専門学校(前・早稲田大学)、京都同志社などに学ぶ。 *1888年(明治21年) - 山形県鶴岡で英語学校の通訳・英語教師となる。 *1889年(明治22年) - アメリカ合衆国に渡り、聖書学校に学ぶ。ケンタッキー大学に入学。 *1893年(明治26年) - シカゴ大学に入学。ジョン・デューイの教えを受ける。 *1894年(明治27年) - バチェラー・オブ・アーツの学位を受ける。 *1897年(明治30年) - シカゴ大学大学院を卒業し、帰国する。先進学院で心理学、倫理学を講義。 *1898年(明治31年) - 東京高等工業学校(前・東京工業大学)の哲学教授になる。東京専門学校の文学部講師となる。 *1908年(明治41年) - この頃に早稲田大学の専任講師となる。 *1919年(大正8年) - 9月26日、高梨たかと結婚。 *1920年(大正9年) - 2月20日、長男の知己が誕生。7月、長男が死去。 *1921年(大正10年) - 6月26日、長女の未來が誕生。この頃に立教大学の教授となる。 *1923年(大正12年) - 2月9日、次女の潮音が誕生。 *1924年(大正13年) - 4月5日、次女が死去。 *1929年(昭和4年) - 早稲田大学の文学部教授となる。 *1932年(昭和7年) - 5月9日、全身衰弱のため死去。朝日講堂で無宗教の哲学葬がおこなわれる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中王堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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