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田中由郎 : ミニ英和和英辞書
田中由郎[たなか よしお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [よし]
 【名詞】 1. reason 2. significance 3. cause 

田中由郎 : ウィキペディア日本語版
田中由郎[たなか よしお]

田中 由郎(たなか よしお、1955年(昭和30年)9月3日 - )は、鳥取県八頭郡若桜町出身の元プロ野球選手投手)。
== 来歴・人物 ==
八頭高校では(昭和48年)、夏の甲子園鳥取県予選準々決勝に進出するが、鳥取工に敗退。卒業後は三菱重工三原に入社、(昭和49年)の都市対抗で準々決勝に進出している。
(昭和50年)、ドラフト1位でロッテオリオンズに入団。オリオンズは、元々別の選手を1位指名する予定だったが、最終スカウト会議においてスカウト部長だった濃人渉が田中の1位指名を主張し、田中の1位指名が決まった。田中の1位指名を主導した濃人はこの時、田中が活躍しなかった場合は「腹を切る(辞職する)」と述べるほどの執念を見せたと伝わる〔。
この様に期待されたものの、オープン戦で打ち込まれ〔、二軍落ちを経験。結局、(昭和51年)は僅か9試合の登板で未勝利に終わった。この成績を受けて、田中の指名を主導した濃人は自身の発言の通り、スカウト部長の職を辞し、オリオンズを退団している〔。2年目の(昭和52年)は27試合に登板し2勝を挙げた。ドラフト1位指名の選手であったが、1977年シーズン終了後に奥江英幸渡辺秀武両投手との交換トレードで、わずか2年で横浜大洋ホエールズへ移籍。
移籍1年目となった(昭和53年)は13試合の登板に終わったが、移籍2年目の1979年(昭和54年)には、自身初の規定投球回に達し、自己最多のシーズン5勝を記録した。ちなみに、同年にリーグ最多与四球を記録している。翌(昭和55年)は前年よりも成績を落としたものの、前年と同じく5勝を挙げている。(昭和56年)は13試合の登板に終わり、(昭和57年)は公式戦で投げる機会が無かった、この年オフに解雇され、現役を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「田中由郎」の詳細全文を読む




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