翻訳と辞書
Words near each other
・ 田中純 (作家)
・ 田中純 (思想史学者)
・ 田中純 (政治家)
・ 田中純 (文芸評論家)
・ 田中純 (競馬)
・ 田中純一郎
・ 田中純二
・ 田中純弥
・ 田中素香
・ 田中紳太郎
田中紹安
・ 田中経一
・ 田中結子
・ 田中絵里花
・ 田中絹代
・ 田中絹代賞
・ 田中綏猷
・ 田中綱常
・ 田中綾
・ 田中綾子


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

田中紹安 : ミニ英和和英辞書
田中紹安[たなか]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 

田中紹安 ( リダイレクト:千道安 ) : ウィキペディア日本語版
千道安[せん の どうあん]
千 道安(せん の どうあん、天文15年(1546年) - 慶長12年2月17日1607年3月14日))は戦国時代から江戸時代初期の茶人。始め紹安。後に道安。号は、可休斎、不休斎、眠翁、泉南道安老人など。堺千家の主。
==略歴==
天文15年(1546年)、千宗易の長男として生まれる。母は宝心妙樹。千家の嫡男だが、利休と折り合いが悪く若い頃に家を出た。のちに利休と和解。茶の道を修め豊臣秀吉の茶頭八人衆に数えられるまでになった。
利休切腹後は金森長近に預けられ(異説あり)、蟄居、謹慎を命じられた。長近が茶人であったことから、親交を深めたとみられている。
文禄3年(1594年)に赦されてに戻り(時期には諸説ある)、千家の家督を継いだ(堺千家)。
慶長6年(1601年)、細川三斎に招かれ、茶頭となり、豊前水崎で三百石を拝領する。
慶長12年(1607年)、豊前の地にて死去(異説あり)。大宰府の崇福寺に葬られた。現在の墓所は堺市南宗寺

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「千道安」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.