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田中美知太郎 : ミニ英和和英辞書
田中美知太郎[たなか みちたろう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [び]
  1. (n,n-suf) beauty 

田中美知太郎 : ウィキペディア日本語版
田中美知太郎[たなか みちたろう]
田中 美知太郎(たなか みちたろう、1902年(明治35年)1月1日 - 1985年(昭和60年)12月18日)は、日本哲学者西洋古典学者。京都大学名誉教授文学博士(1950年)。
== 人物 ==
新潟県新潟市出身。ソクラテスプラトン研究の第一人者として著作を多数出版し、西洋古典学専門家を育成した。
1950年(昭和25年)日本西洋古典学会を呉茂一高津春繁村川堅太郎松平千秋等と設立、呉の後任で委員長に就いた(第2代、1956年(昭和31年)~1965年(昭和40年))。他に関西哲学会会長も務めた。
戦後いち早くから著名な保守系論客としても活躍した。サンフランシスコ講和条約の際には、多くが多数講和に反対する中で、小泉信三らと共に支持し、1968年(昭和43年)には保守系団体「日本文化会議」(1994年(平成6年)解散)の設立に参画、終身理事長を務めた。
== 略歴 ==
*旧制開成中学校卒業後、上智大学予科第1年2学期編入、本科中退
*1926年、京都帝国大学(現在の京都大学)文学部哲学科選科修了
*1928年(昭和3年)、法政大学文学部講師
*1930年(昭和5年)、東京文理科大学(後の東京教育大学)講師
*1945年(昭和20年)5月25日東京大空襲焼夷弾油脂を真正面から浴び、手と顔面が一変する瀕死の大火傷を負い、東京都杉並区の河北病院に手術入院し、生死の境を2週間も彷徨うが、奇跡的に一命を取り留める。
*1947年(昭和22年)、京都帝国大学文学部助教授
*1950年(昭和25年)、京都大学文学部教授、『ロゴスとイデア』で(文学博士:京都大学)
*1965年(昭和40年)、京都大学名誉教授
*1966年(昭和41年)、龍谷大学文学部教授
== 受賞歴・叙勲歴 ==
*1972年(昭和47年)- 文化功労者
*1973年(昭和48年)- 勲二等瑞宝章
*1978年(昭和53年)- 文化勲章
*1982年(昭和57年)- 京都市名誉市民
*1985年(昭和60年)- 従三位勲一等瑞宝章

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「田中美知太郎」の詳細全文を読む




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