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田中 裕子(たなか ゆうこ、本名:澤田 裕子(ひろこ)、1955年4月29日 - )は、女優。昭和天皇の諱「裕仁(ひろひと)」から取ったため本名はひろこと読み、誕生日も同じである。所属事務所はアニマ出版。 夫は歌手・俳優の沢田研二、弟は俳優の田中隆三。大阪府池田市出身。中学2年から北海道札幌市西区育ち〔佐藤正弥編著『データ・バンク にっぽん人』現代書林、1982年、110頁。〕。 札幌市立向陵中学校→北海道札幌西高等学校卒業、藤女子短期大学中途退学を経て明治大学文学部演劇学科卒業。学位は文学士(明治大学)。卒業論文は「女優論」。 ==来歴・人物== 明大在学中の1978年に文学座に入り、女優活動をスタート。1979年(昭和54年)のNHKテレビ小説『マー姉ちゃん』で主役の妹役としてデビュー。1981年(昭和56年)の映画『ええじゃないか』『北斎漫画』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、新人俳優賞を受賞。1983年(昭和58年)の、連続テレビ小説『おしん』で主役を演じ、アジアやイスラム圏を中心として世界的な有名女優になる。日本での『おしん』の平均視聴率は52.6%、最高視聴率は1983年11月12日放送(第186回「戦争編・東京の加代」)の62.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)であり、ドラマ史上で最も視聴率が高い。 1983年(昭和58年)には映画『天城越え』でモントリオール世界映画祭主演女優賞受賞。1985年に文学座を退団。 1989年(平成元年)11月に歌手の沢田研二と結婚し、出雲大社で挙式を行った。沢田との出会いは 1982年4月に行われたザ・タイガースコンサートで、対面前からお互いにファンであったことを公言している。同年末の映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』で沢田と共演し、その後沢田と不倫関係となり、1986年8月から沢田は当時の妻・伊藤エミと別居していた〔。 歌手として1986年8月14日放送のザ・ベストテンのスポットライトのコーナーに「チャイナドール」で出演したことがある。また1987年6月11日には黒柳徹子の代理で司会を行ったこともある。 2005年(平成17年)には映画『いつか読書する日』『火火』でキネマ旬報ベスト・テン主演女優賞受賞。2010年(平成22年)のドラマ『Mother』で第65回ザテレビジョンドラマアカデミー賞助演女優賞受賞。同年11月、紫綬褒章受章。2013年(平成25年)には映画『共喰い』『はじまりのみち』でキネマ旬報ベスト・テン助演女優賞受賞。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中裕子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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