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田中覚 : ミニ英和和英辞書
田中覚[たなか さとる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 

田中覚 : ウィキペディア日本語版
田中覚[たなか さとる]

田中 覚(たなか さとる、1909年(明治42年)12月15日 - 2002年(平成14年)8月10日)は、日本の政治家で、三重県知事(5期)、衆議院議員(1期)を務めた。三重県四日市市塩浜地区出身。学歴は東京帝国大学卒業である。元四日市市長の加藤寛嗣は従兄弟である。1944年(昭和19年)佐藤喜代子と結婚して、2女をもうける〔平野孝 『菜の花の海辺から』上巻P.31〕。喜代子と死別後の1975年(昭和50年)には三木睦子の妹三重子と再婚した。映画監督として人気のあった藤田敏八は甥(姉の子)である。
== 来歴・人物 ==
1909年(明治42年)12月15日、三重県四日市市蔵町の母の実家で生まれる〔平野孝 『菜の花の海辺から』上巻P.28〕。塩浜尋常小学校、塩浜高等小学校、三重県立第二中学校(現・四日市高校)から東京府立第五中学校(現・小石川高校)へ転校して、第八高等学校 (旧制)を経て東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業した〔平野孝 『菜の花の海辺から』上巻P.29〕。1934年(昭和9年)農林省(現在の農林水産省)に入省後の1940年(昭和15年)に応召するも〔平野孝 『菜の花の海辺から』上巻P.30〕。3年後に帰還して、戦後は経済安定本部(後の経済企画庁)に出向して加工食品課長を務める。1950年(昭和25年)、三重県へ出向して農林部長・農地部長・企画本部長を兼務し、宮川総合開発事業に携わった〔平野孝 『菜の花の海辺から』上巻P.32〕。1953年(昭和28年)に農林省に戻り官房調査課長に就くが、1955年(昭和30年)に辞職して4月の三重県知事選挙に出馬した。このときは自由党民主党が現職の青木理を推したため、右派社会党左派社会党の支援を得て初当選した。この時45歳で、当時としては全国最年少知事であった。この知事選では社会党の支援を得たが、県議会では保守系の農政会や自由民主党が与党となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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