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田中 重之(たなか しげゆき、1898年(明治31年)12月15日 - 1985年(昭和60年)4月9日〔『日本近現代人物履歴事典』319頁。〕)は、日本の内務官僚。官選県知事。 ==経歴== 埼玉県出身。衆議院議員・田中左司馬の長男として生まれる。埼玉県立浦和中学校、第一高等学校を卒業。1922年3月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年6月、北海道庁属となり拓殖部に配属。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格した〔。 1923年4月、北海道庁警視・警察部勤務となる。以後、道庁事務官、地方事務官・静岡県勤務、福岡県警察部特別高等警察課長、内務事務官・警保局勤務、ドイツ駐在(1931年7月~1934年12月)、兼内務書記官・大臣官房文書課長、内閣調査局調査官、内務書記官・地方局庶務課長、警保局警務課長を歴任し、文部省社会教育局長に就任〔。 1941年1月、石川県知事に就任。戦時体制への移行に尽力〔『新編日本の歴代知事』462頁。〕。1944年8月に長崎県知事に転じ、1945年4月まで在任した〔『新編日本の歴代知事』1027頁。〕。 戦後に公職追放となり、1951年8月に解除。1956年10月から1972年10月まで埼玉県教育委員会委員長を務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中重之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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