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田中 雅美(たなか まさみ、1979年1月5日 - )は、日本の元水泳選手で、シドニーオリンピック銅メダリスト。専門種目は平泳ぎ。現在はスポーツコメンテーター・タレント。中央大学法学部卒業。三桂所属。身長164cm。 == 水泳選手としての経歴 == 北海道紋別郡遠軽町出身。3人姉妹の末っ子として生まれる。2人の姉の影響で水泳を始めた。 小学生時代、体育の教員をしていた父親の仕事の関係で美唄市に住んでいた時期がある。 岩見沢市立緑中学校卒業後、通っていたスイミングスクールで選抜されて上京。1994年、私立八王子高等学校に入学し、JSS東京八王子クラブに移籍。その年の日本水泳選手権で100mと200mの平泳ぎで2冠を達成した。2年生となった翌1995年の同大会では、長崎宏子が保持していた女子100m平泳ぎの日本記録を11年ぶりに更新。 3年生となった1996年に開催されたアトランタオリンピックでは、田中が目標としていた岩崎恭子(その前大会だったバルセロナオリンピックの女子200m平泳ぎ金メダリスト)と共に競泳日本代表に選ばれるが、平泳ぎの成績は100mで13位、200mで5位と振るわなかった。田中と岩崎とはライバルでありながらも良き親友であり、その親交は共に引退した現在も続く。 1997年、中央大学に入学。中大水泳部はそれまで男子部員しか採っていなかったが、アトランタ五輪で日本水泳界が壊滅的な状態となり、日本水泳連盟が「大学生を選手団の主力とする」という方針を打ち出したこともあり、田中はいわば女子部員の“1期生”の形で入部した。岩崎が日本大学在学中に競技の第一線を退いたこともあり、以降は日本女子平泳ぎ界の有力選手になった。 4年生時の2000年開催のシドニーオリンピックでは、女子400mメドレーリレーで大学の後輩2人を含むチームで銅メダルを獲得。しかし平泳ぎ個人戦では100mで6位、200mで7位と、いずれもメダルを逃した。ここで、第一線を退く。 2001年、中央大学を卒業。また、眼瞼下垂に罹患し不眠などに悩まされていたため手術を受けていたことを明らかにする。その後北米へ渡って留学し、2002年のソルトレイクシティオリンピックでは、テレビ東京系列の中継でリポーターを務めた。 2004年開催のアテネオリンピックへ出場したいとの思いから、2003年スイマーとして現役に復帰。日本選手権で好成績を残し、アテネ五輪出場権を獲得。アテネ五輪では200m平泳ぎで惜しくも4位に留まった。この大会後の2005年に現役引退を発表した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中雅美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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