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森 功至(もり かつじ、本名同じ(旧名:森 深雪〈もり みゆき〉)、1945年7月10日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。所属事務所は自らが代表を務めるオフィスもり。かつては、俳協、劇団河、青二プロダクションに所属していた。東京都生まれ。血液型はB型。 == 略歴 == 日本大学豊山高等学校出身。 10歳の時にラジオドラマ『少年猿飛佐助』の主役の一般公募に親が応募するが、面接通知が届いたのが面接翌日で、ひどく落胆した。それを見た親に連れられて児童劇団の入団試験を受け、 児童劇団こじかに所属。子役として活動した。3年後、俳協の前身である太平洋テレビジョンに移る。15-6歳のころにNHKの時代劇にレギュラー出演から俳優活動の始めるが、大人に言われるがままスタジオに行って演技の繰り返しから「この世界にいてもいいんだろうか」と不安になり、壁にぶち当たったりした。それが原因で、何回か役者を辞めた時期があり、俳協でデスクやマネージャーをやっていた経験がある。 顔出しの仕事も並行しながら『マッハGoGoGo』で主人公・三船剛を演じる。共演した大宮悌二、富山敬、愛川欽也らに影響を受け、「声の仕事を優先的にやりたい」と思い、富山が所属していて愛川が移籍した事もあって所属事務所を河の会に移す〔。 1970年 - 80年代のヒーローものに多数出演している。 元々は、当時の本名である森 深雪(もり みゆき)で活動していた。その後、田中 深雪、田中 雪弥(たなか せつや)の芸名も用いた。森深雪という名が「森の中で深い雪に閉ざされ、一生陽の目を見ない名前」と姓名判断で言われ、本名自体を森功至に改名した〔神谷明「森功至 CHARACTER VOICE Q&A」『みんな声優になりたかった 神谷明と25人の声優たち』主婦の友社、1994年1月6日、ISBN 4-07-214333-2、165頁。〕。 40歳を過ぎてナレーターとしての活動も開始。どうやって自分を生かしていけばいいんだろうかと考えていたが、企業プロモーションビデオのナレーションから、当時ワイドショーなどが放映され始めた時期で、生ナレーションをやらせてもらうようなった。初めて生ナレーションしたときには強いプレッシャーを感じ、全身の筋肉が硬直して原稿を持つ手が震えからペーパーノイズがマイクに乗るんじゃないかと思うような状態で、何を読んだのかまったく記憶に無いという。 50歳後半になって、所属していた青二プロダクションを飛び出し自らが代表を務めるオフィスもりを設立〔。オフィスもりの声優研究所であるVoice-1 アカデミーで講師を努め、後進の指導にあたっている。 2013年の第7回声優アワードで、タツノコプロ50周年としてシナジー賞を受賞。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森功至」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Katsuji Mori 」があります。 スポンサード リンク
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