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田丸稲之衛門 : ミニ英和和英辞書
田丸稲之衛門[たまるいなのえもん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [まる]
 【名詞】 1. (1) circle 2. (2) full (month) 3. (3) perfection 4. purity 5. (4) suffix for ship names 
: [いね]
 【名詞】 1. rice-plant 
: [これ]
 (int,n) (uk) this
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 

田丸稲之衛門 : ウィキペディア日本語版
田丸稲之衛門[たまるいなのえもん]
田丸稲之衛門(たまるいなのえもん、文化2年(1805年) - 慶應元年2月4日1865年3月1日))は、幕末期の志士水戸藩士。村上源氏の名門中院家の流れで北畠氏の支流田丸氏(以下の段で詳述)。は直允。幼名は丑次郎、安之允。仮名は稲之衛門。家系村上源氏の名門 北畠氏の庶流である(以下に詳述する)。実父は山国共綿、母は田丸直諒の娘。外祖父である田丸直諒の養子となった。兄に山国喜八郎共昌がいる。水戸天狗党の乱において天狗党の首領として各地を転戦。越前国敦賀にて斬死した。墓所は茨城県水戸市松本町常磐共有墓地。また靖国神社に合祀される。位階贈従四位〔明石鉄男編『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社、1986年)335頁参照。〕。
== 家系 ==

田丸氏村上源氏の名門北畠氏の庶流である。田丸氏は、戦国時代初期の伊勢守護・北畠政郷の四男・顕晴が度合郡田丸城に入り、田丸の苗字を称したことにはじまる。以降、田丸氏は初代田丸顕晴以下、歴代当主により田丸御所の尊称が継承され、北畠氏の一門の三大将として重きをなした。
しかし、顕晴は伊勢国の国人・関氏との戦いの最中、家臣である池山氏の謀叛に倒れ、家督はその子、田丸具忠が継承した。やがて、田丸具忠が老齢で隠居すると、その子・田丸直昌が家督と田丸城を継承した。直昌は織田信長の子の織田信雄の家臣となり、旧主であり一族でもある北畠氏一門の暗殺を命ぜられ、田丸城にて旧主一族を殺害した。やがて、直昌は羽柴秀吉の傘下となり、その重臣・蒲生氏郷の姉婿であることから、蒲生氏の家臣となる。蒲生氏が陸奥国会津に90万石を与えられると、直昌は3万石を与えられ須賀川城主となった。
その後、直昌は葛西大崎一揆九戸政実の乱に出陣し、戦功により5万2000石に加増となり、森山城主に転じた。主君氏郷が死去するとその子の蒲生秀行に従い、秀行が宇都宮城18万石に転封となると、直昌は信濃国川中島城主に封ぜられた。その後、徳川家康の命で美濃国岩村城に移り、4万石の封を得た。しかし、関ヶ原の戦いでは西軍に参陣し、西軍が敗れると敗将として越後国に流された。田丸直昌は出家したものの、その長男・田丸直茂は赦免され、蒲生家に帰参した。しかし、蒲生氏が断絶すると、浪人して加賀藩前田氏に仕えた後、江戸幕府の旗本となった。また、直昌の次男に直綱という人物がおり、その三男 直次の女が水戸藩士に嫁いだとされる。直次の女が嫁ぎ先で生んだ子直行が、田丸姓を冒して、水戸藩士・田丸家が成立した。以降、田丸家は直行、直暢、直諒と続き、稲之衛門直允を養子とした。
*北畠政郷-田丸顕晴-田丸具忠-田丸直昌-田丸直綱-田丸直次-女-田丸直行(水戸藩士初代)-田丸直暢-田丸直方-田丸直諒=田丸稲之衛門直允

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「田丸稲之衛門」の詳細全文を読む




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