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田丸 重雄(たまる しげお)は、日本の映画監督、脚本家であり、映画に俳優として出演もしており、かつて1930年代に京都に存在した映画会社、マキノトーキー製作所では経理部長でもあった。各職能が未分化、あるいは越境的な、当時のインディペンデント映画界のもつヌーヴェルヴァーグ的気風を体現した人物のひとりである。 == 来歴・人物 == 生年生地、経歴不詳。 1931年(昭和6年)8月14日に公開された田坂具隆監督のコメディ無声映画『五人の愉快な相棒』に「図書館長」役として、突如、スクリーンと映画史に登場した。俳優出身で、同作の4年前までまだ出演していた、当時29歳の同作の脚本家・山本嘉次郎の仲間であることが推測される。 次に田丸の名が登場するのは、牧野省三の没後6年にして牧野の長男であるマキノ正博が1935年(昭和10年)11月に設立した「マキノトーキー製作所」が、翌1936年(昭和11年)1月に発表した同社の陣容である〔マキノ初版 p.322-374.〕。田丸は同社の経理部長に就任している。 その同月、「経理部長田丸」は、マキノトーキー撮影所長・マキノ正博との共同監督として、『最後の土曜日』で映画監督および脚本家としてデビューしている。同作は同月24日に公開された。また、同年に田丸が監督した『涯なき航路』のロケ先に、数日前まで撮影所を見学していたP.C.L.映画製作所の滝村和男が現れ、主演の中野英治、山縣直代ら現代劇の俳優を引き抜くという事件があった〔。同社脚本部の山下元のオリジナル脚本による『旅と春風』も監督、都合3本の監督作があり、1本のオリジナルストーリー、1本のオリジナルシナリオが映画化された。 同年の暮れに、同社の理事・笹井末三郎が、全従業員の年末賞与とするため、自ら経営する賃貸物件の土地建物を売却して調達した2万円を「経理部長田丸」に渡している。明けて1937年(昭和12年)1月31日には、田丸が書いたオリジナルシナリオ『二階の花嫁』が久保為義監督作として封切られている。そして同年4月初旬のマキノトーキー最後の日、「解散式」では、マキノ、笹井、監督の久保、俳優の月形龍之介、沢村国太郎とともに「経理部長田丸」は、同社の看板が燃やされる火を眺めながら、湯飲みに注がれた酒を飲み干している〔。 時期に関しては不明だが、マキノトーキー入社前か、解散後に、東京・浅草公園六区の軽演劇の劇団「笑の王国」(1933年 - 1943年)の文芸部に名を連ねている〔劇団結成の動向4 、帝京平成大学、2009年5月30日閲覧。〕。 これ以降の田丸の消息はわからない。存命中であっても、山本やマキノの同世代では現在100歳を超えている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田丸重雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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