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田付流(たつけりゅう)は近江出身の田付景澄(たつけ かげすみ)を祖とする日本の砲術の流派。初代田付景澄が徳川家康に召し抱えられ、江戸幕府の鉄砲方として幕末まで仕えた流派。国産の火縄銃を扱う外記流の井上家に対し、田付流は主に外国産の火縄銃や大筒を担当した。江戸時代初期は500石の旗本で、3代目田付景利からは火付盗賊改方も兼任する。 田付流の火縄銃は銃床が直線に切断されている特徴がある。 == 田付流(四郎兵衛)歴代当主 == 江戸田付・大田付とも称される。〔日置昌一『日本系譜総覧』 1973〕〔『大武鑑』〕〔『寛政重修諸家譜』〕 * 田付景澄(初代、兵庫助) 弘治2年(1556年)-元和5年10月14日(1619年11月19日) 64歳 田付景定の子 * 田付景治(2代目、兵庫助)〔『日本系譜総覧』では景治までを兵庫助と表記。〕 天正8年(1580)-寛永14年(1637)3月14日 57歳 田付景澄の長男 * 田付景利(3代目、四郎兵衛) 元和4年(1618)-貞享2年(1685)7月3日 67歳 田付新兵衛某の四男(圓方)〔四郎兵衛家を継ぐ前は「圓方」だが、「方圓」とする書もある。〕で田付景治の養子〔田付新兵衛某は田付景澄の弟。景治と景利は従弟。〕〔田付又四郎『田付又四郎先祖書』 筑波大学附属中央図書館所蔵 寛政11年(1799年)10月〕 * 田付直平(4代目、四郎兵衛) 寛永18年(1641)-宝永3年(1706)11月9日 65歳 * 田付直久(5代目、四郎兵衛) 寛文5年(1665)-寛保2年(1742)7月24日 77歳 * 田付直政(6代目、四郎兵衛) 元禄9年(1696)-宝暦7年(1757)5月20日 61歳 * 田付直素(7代目、四郎兵衛) 享保15年(1730)-天明8年(1787)5月14日 57歳 * 田付直温(8代目、四郎兵衛) * 田付直寛(9代目、四郎兵衛) * 田付直愛(主計) 小栗忠順の砲術の師。幕府陸軍の将校(御持小筒組之頭)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田付流」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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