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田児 賢一(たご けんいち、1989年7月16日 - )は、NTT東日本バドミントン部所属の男子バドミントン選手。埼玉県出身。身長175cm、体重72kg。血液型はO型。右利き。埼玉栄中学校・埼玉栄高等学校を経て、NTT東日本に所属する。BWF世界ランキング最高位は3位(2013年10月31日)。 両親は共にバドミントン選手で、父親の田児淳一は元・日本リーガー、母親の田児よし子(旧姓は米倉)は、全日本総合バドミントン選手権大会の女子ダブルスで8回優勝。シングルスと混合でそれぞれ1回優勝。両親ともに元NTT東日本所属の選手。 ==経歴== 両親の影響で2歳でバドミントンを始める。小学校時代はバドミントンジュニアの「チャレンジャー」チームに所属。11歳の時に全国小学生選手権男子ダブルス(5年生以下)で優勝。中学時代は2003年、2004年の全国中学生選手権男子ダブルスで連覇。 高校時代は全国高等学校選抜バドミントン大会の団体戦・男子シングルス・ダブルスで優勝、全国高等学校総合体育大会バドミントン競技大会(インターハイ)でも2006年、2007年男子シングルス・ダブルスの2年連続二冠を達成。また、国際大会にも出場し好成績を収めている。2006年アジアジュニア選手権の男子シングルスで全種目通じて日本人初となる優勝を達成。同年に高校生ながらバドミントン日本代表に選出され、翌2007年のスウェーデン国際の男子シングルスで優勝し、シニア大会で初優勝する。スコットランドで開催されたスディルマンカップにも日本代表として出場し、アテネオリンピック男子シングルスベスト8のロナルド・スシロを破るなど、日本のグループ1昇格に貢献。2007年10月から11月にかけてニュージーランドで開催された世界ジュニアバドミントン選手権大会男子シングルスで準優勝〔tournamentsoftware.com KLRC World Junior Championships 2007 〕。 高校卒業後の2008年4月にNTT東日本へ入社。2007年度のバドミントン日本リーグには内定選手として出場した。日本リーグや全日本実業団バドミントン選手権大会などの団体戦ではダブルスの試合に出場する事もある。 2008年全日本総合選手権の男子シングルス決勝で佐藤翔治を決勝で破って初優勝し、舛田圭太が保有していた19歳8ヶ月の同種目最年少優勝記録を19歳4ヶ月に更新した。以後2013年大会まで6連覇。 2010年の第100回全英オープンでは、日本人として秋山真男 以来44年ぶりに決勝進出(決勝では世界ランキング1位のリー・チョンウェイに19-21、19-21で敗れる。)〔日刊スポーツの記事 (日刊スポーツ、2010年3月16日)〕〔tournamentsoftware.com ALL ENGLAND SUPER SERIES 2010 〕。 2012年、ロンドンオリンピックの男子シングルスへの出場権を獲得した。本大会では予選リーグの試合で伏兵のニルカ・カルナラトネ(スリランカ)に敗れ、決勝トーナメント進出はならなかった。 2013年、ヨネックスオープンジャパン男子シングルスで同大会男子種目日本人初の決勝に進出。決勝ではリー・チョンウェイに21-23、17-21で敗れて準優勝。 2014年5月、トマス杯で日本男子初の優勝に第1シングルスとして大きく貢献したが、同年12月の全日本総合選手権は左足首捻挫のため棄権し、連覇が6で止まる。その頃から国際大会で思わしい結果を残す事が出来なくなり2015年9月に自らナショナルチームから離れる事を決断。さらに前年に続いて全日本総合選手権を棄権した。その後は(所属実業団チームからの)自費派遣による国際大会出場を続けている。 オリンピック本大会でのメダル獲得を目標に掲げ、各国の強豪選手が多く出場するBWFスーパーシリーズの大会を中心に出場している。その一方、国内の大会に関しては、全日本総合選手権や団体戦の日本リーグ、全日本実業団選手権以外の大会に出場する事は稀である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田児賢一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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