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田名向原遺跡(たなむかいはらいせき)は、神奈川県相模原市中央区田名塩田で発見された後期旧石器時代末(約20,000年前-18,000年前)の遺跡である。 == 遺跡概要 == 相模川左岸の比高11メートルの低位段丘上に立地している。遺跡の川寄りでは水成層の堆積がみられ、後期旧石器時代の本遺跡は相模川べりに位置していたと推定される。 平成9年(1997年)の調査では、建物跡と推定される遺構が発見された。遺構は、直径約10メートルの円形の範囲を円礫(川原石)で囲んだものであり、内部からは柱穴12基と焚き火跡2箇所もあわせて確認している。また、二次加工をともなう剥片や大量の母岩・石核も集中して見つかっており、旧石器時代人の石器製作の場として利用したことがうかがわれる。また、槍先形石器の石材には長野県産、伊豆産、および箱根産の黒曜石が用いられ、遠隔地との交流も示唆される。成形された石器には尖頭器193点のほかナイフ形石器50点あまりの出土がある。 本遺跡は、川辺に接していたと考えられ、サケ・マス類の季節的・集約的な漁場につくられた半定住住居として推定される。 なお、本遺跡の建物跡は、炉跡、柱穴、外周の円礫群などをともない、確実なものとしては日本列島最古の建物跡である。 本遺跡は、平成11年(1999年)1月28日に国の史跡に指定され、相模原市によって史跡環境整備が進められた。平成19年(2007年)3月31日には遺跡公園「史跡田名向原遺跡公園」として開園している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田名向原遺跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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