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田名部まつり(たなぶまつり)は青森県青森県の無形民俗文化財に指定されている。 == 歴史・背景 == *田名部まつりの起源がいつかは定かではないが、約370年以上の歴史をもつといわれている。 *江戸時代中期の紀行家菅江真澄が田名部を訪れた際に書いた『牧の朝露』によれば、寛政5年(1793)にはすでに現在の運行形態に近い状態で行われていたことがわかる。 *かつて田名部は南部藩の代官所が置かれ、下北の産業・経済・文化の中心地となっていた。田名部自体には海に開けた港はなかったが、陸奥湾(大湊湾)に停泊した北前船からの荷の積み卸しが田名部川を通して行われ、その水運で栄えた町であった。下北からは上方に向けてヒバ、アワビ、ナマコ、コンブが出荷され、諸国からは西廻り航路を通って数々の珍しい物品がもたらされた。また、物だけではなく言葉や文化ももたらされた。 *下北の産物は高級品として扱われ、上方や中国に長崎俵物として売られていった。そうして下北の町人は富を得たのである。下北は不毛の地と称されることがたびたびあるが、地元で作物が収穫できなければ買えば良かったのである。実際、当時の下北人は食うに困らず、俳諧などの文学や書をたしなみ、学問をする余裕があったと伝えられている。 *江戸時代初期より、下北では多くの近江商人が活躍し、これらの人々が言葉や文化の伝導に一役かっていた。近江商人の出身地である滋賀県高島市には現在でも田名部まつりに類似した山車祭が存在する。恐らくそれが田名部に伝えられたものと考えられている。田名部まつりも辿れば京都八坂神社の祇園祭の流れを汲むとされ、山車の形態、囃子にその痕跡が見てとれる。それゆえ「北のみやび」とも称される。 *どのような謂われで伝えられ、定着したのかは不明であるが、いずれにせよ町人の経済力がなければ、山車本体、山車に使う豪華な調度品、御神体などを買うことはできなかったであろうし、心意気や祭をするだけの心の余裕がなければ維持し守り続けることもできなかったであろう。 *田名部まつりは、かつて陰暦7月18-20日に行われていたが、1870年(明治3年)より現在の8月18-20日となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田名部まつり」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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