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田名部館(たなぶだて)は、青森県むつ市小川町〔(地図閲覧サービス) 国土地理院 〕に所在した日本の城。 田名部館は中世から近世の平城で、北側を切断している二重の空堀が遺構として残っている。館跡は代官山公園として整備されている。 == 沿革 == 建武年間の頃、八戸根城の南部師行が家臣 武田修理、赤目五郎を目代として置いたところといわれる。 康正年間、蠣崎城主蠣崎蔵人が南部氏に背いた際、糠部郡宇曾利郷(下北半島)が蠣崎氏の配下になったため、田名部館も南部氏の攻撃を受けた。(蠣崎蔵人の乱)乱後に根城(八戸)南部氏家臣新田盛政が城代となり、その後、八戸氏の属城となる。また慶長年間(1596-1615年)に八戸直政の室、清心尼が田名部北方の女館にいたが、元和3年(1617年)に南部利直が根城南部氏から下北の支配権を接収した。 寛文 9年(1672年)のころ、館下の常念寺を代官所としていたが、寛文13年(1673年)頃に、館のある場所に田名部代官所が移されて明治に至る。 戊辰の役後、明治元年(1868年)、南部藩の北郡、三戸郡、二戸郡金田一以北は削封され、翌 2年(1869年)、陸奧国3万石として会津藩が移封し斗南藩として田名部に移ったが、明治4年(1871年)に廃藩となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田名部館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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