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『田園に死す』(でんえんにしす)は1974年公開の日本映画。寺山修司監督、脚本。 「恐山」「母殺し」「家出」など寺山特有のテーマが多く取り上げられており、自伝的要素が見られるが、劇中劇が用いられるなど虚構の性格が強い作品である。なお、先行して1965年に同名の歌集が刊行されており、映画の中でも同書からの短歌が朗読される。 菅貫太郎唯一の映画主演作である。ラストシーンは『幕末太陽傳』(の実現しなかった結末案)から影響を受けたといわれる。 == ストーリー == 父親のいない中学生の私は、恐山の麓の村で母と二人で暮らしている。唯一の楽しみといえば、イタコに父親の霊を呼び出させて会話をすることだった。私の家の隣には他所から嫁入りした若い人妻が住んでおり、それが意中の人である。ある日、村にやって来たサーカスへ遊びに行った私は、団員から外の世界の事を聞かされ、憧れを抱くようになった。今の生活に嫌気がさした私は家出をすることを決心し、同じように生活が嫌になった隣の人妻と共に村を離れる約束をした。駅で待ち合わせをして線路を歩く二人…… 実はここまでは、映画監督となった現在の私が制作した自伝映画の一部である。試写会に来ていた人々は映画の出来を褒め、私を称えた。その後、評論家と一緒にスナックへと入った私は、「もし、君がタイムマシーンに乗って数百年をさかのぼり、君の三代前のおばあさんを殺したとしたら、現在の君はいなくなると思うか」と尋ねられた。質問の意味を深く考えていた私は、少年時代の自分自身に出会う。少年の私は、映画で描かれた少年時代は脚色されており、真実ではないと言い放つ。そして、本当の少年時代がどの様なものであったかが語られる。 村に住む人々はみな狂気じみており、サーカス団も実は変質者の集まりだった。人妻からは家出の計画を本気にしていなかったことを告げられ、目の前で愛人の男と心中されてしまう。そんな中、少年は現在の私と出くわした。現在の私は、過去の私が母親を殺せば自分がどうなるのかを知るためにやって来た。二人で話をするうちに、少年は母親を捨てて上京することを決意する。しかし、出発の準備を整える中、東京からの出戻り女によって童貞を奪われてしまう。たまらなくなった少年は電車に乗り、故郷を離れていった。結局母殺しは起きなかった。私は少年を待ち続けるが、何も変わりはしなかった。 現在の私は20年前の母親と向き合い、黙って食事をしている。やがて家の壁が崩壊すると、そこは新宿駅前の一角だった。周囲を沢山の人間が行きかう中、私と母は黙って食べ続ける。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田園に死す」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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