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田子ノ浦部屋(たごのうらべや)は、日本相撲協会に所属する二所ノ関一門の相撲部屋。かつて出羽海一門にも同名の部屋が存在したが、系統的つながりはない。 == 歴史 == 2011年11月から鳴戸部屋の師匠を務めてきた年寄・14代鳴戸(元幕内・隆の鶴)が、日本相撲協会の2014年からの公益財団法人への移行に関連して、2013年12月20日までに日本相撲協会に対して年寄・鳴戸の名跡証書を提出するよう求められたものの、年寄・鳴戸の名跡証書の所有者である13代鳴戸(元横綱・隆の里)夫人との話し合いが付かずに日本相撲協会が定めた期限までに年寄・鳴戸の名跡証書を提出できなかったため、14代鳴戸は2012年2月に急逝した14代田子ノ浦(元幕内・久島海)の夫人が所有する年寄・田子ノ浦の名跡を正式に取得し、同年12月25日に日本相撲協会へ年寄・田子ノ浦の名跡証書を提出すると共に、正式に16代田子ノ浦を襲名した。これに伴い、同日付で部屋名が鳴戸部屋から田子ノ浦部屋へと変更され、大関・稀勢の里ら鳴戸部屋の所属力士12人と行司2人・呼出1人・床山1人はそのまま田子ノ浦部屋の所属となった。 16代田子ノ浦は自身の年寄名跡変更および部屋名の改称を行ったものの、千葉県松戸市にある鳴戸部屋の施設は13代鳴戸夫人が所有しているため、田子ノ浦部屋一同はそれまで使用してきた部屋の施設からの転居を余儀なくされた〔稀勢、27年間の人生で初めての1人暮らし 日刊スポーツ 2013年12月27日記事〕。そこで、16代田子ノ浦は2013年12月26日に、部屋の施設を東京都江戸川区東小岩に新設するまでの約半年間の予定で、同年10月に閉鎖された三保ヶ関部屋の施設を借り受ける形で部屋を東京都墨田区へ急遽移転した〔この時点で旧・田子ノ浦部屋の稽古土俵は撤去されており、新・田子ノ浦部屋一同が稽古場として利用することは不可能だった。 :鳴戸部屋消滅…綱取り稀勢、流浪生活?稽古場がない! サンケイスポーツ 2013年12月26日記事 〕。その後、当初の予定よりも新しい部屋施設の完成は遅れたものの、2014年12月14日に新築した施設での部屋開きを行った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田子ノ浦部屋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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