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田子信直 : ミニ英和和英辞書
田子信直[た]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [ひた, ちょく]
 【名詞】 1. earnestly 2. immediately 3. exactly

田子信直 ( リダイレクト:南部信直 ) : ウィキペディア日本語版
南部信直[なんぶしんただし]

南部 信直(なんぶ のぶなお)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての陸奥国武将戦国大名南部氏第26代当主で中興の祖といわれる。
== 生涯 ==

=== 晴政後嗣とその後の確執 ===
天文15年(1546年)3月1日、南部家の第22代当主・南部政康の次男・石川高信の庶長子として岩手郡一方井城で生まれる。
永禄8年(1565年)、従兄である南部氏第24代当主・南部晴政に男子が無かったため、その長女の婿となり養嗣子として三戸城に迎えられた。
永禄9年(1566年)と永禄11年(1568年)、鹿角郡に侵入した安東愛季軍を撃退し武名を挙げる。
元亀元年(1570年)、晴政に実子・南部晴継が誕生すると
元亀2年(1571年)5月(天正9年(1581年)説もある)、南部一族の大浦為信石川城を攻められて実父・石川高信が自害する。これは石川家を弱体化させておきたい晴政が、。なお南部氏側資料では、石川高信は天正9年(1581年)に病死し大浦為信に攻められていないが、
天正4年(1576年)、正室(晴政の長女)が早世すると、本人も身の危険を感じていたのか晴政の養嗣子の座を辞退し田子城に引き籠もるが、刺客の脅威から逃れるため北信愛剣吉城根城南部氏当主・八戸政栄根城などに身を隠す。晴政は信直への不信を抱き続け、南部家内は晴政ならび一族内の有力勢力・九戸氏の連衡と、信直を盟主とする南長義、北信愛の連合の間で対立していく。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「南部信直」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nanbu Nobunao 」があります。




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