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田尻 常雄(たじり つねお、1877年 - 1957年4月18日〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕)は、日本の商学者。大正から第二次世界大戦中まで、長崎高等商業学校校長、横浜高等商業学校校長を務め、戦後は東京経済大学理事長、学長などを歴任した〔〔、 == 経歴 == 熊本県出身。 1901年、東京高等商業学校専攻科を卒業。1901年から1908年まで大倉商業学校で教鞭を執る〔。 1908年に長崎高等商業学校教授となり、1920年に第4代校長となった。1923年に新設された横浜高等商業学校の初代校長に転じ、1943年までその座にあった〔。 田尻は大柄で、長崎高商の一教授に過ぎなかった頃から校長と間違われることがあり、学生からは「見かけ倒しの田尻さん」と称されていたといい、また、財界人との社交にも巧みで学生の就職の面倒見もよく「就職の神様」とも呼ばれていた〔橘木,2012,p.163.〕。 1948年、新制大学への昇格を目指して運動していた大倉経済専門学校に理事長として招かれ、1949年の東京経済大学への昇格を経て1957年3月まで理事長の座に留まり、1953年12月以降の最後の3年余りには、学長も兼務した〔〔橘木(2012,p.163)には、田尻について「戦後には東京経済大学の初代学長になるのである」と記されているが、「初代学長」とあるのは「初代理事長」ないし「第2代学長」の誤りである。またこの記述がある節の見出しでは生没年がまったく異なっている。〕。 1957年には第5回(昭和31年度)横浜文化賞を受賞した。 横浜国立大学の常盤台キャンパスには、田尻の胸像が設置されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田尻常雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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