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田尻 愛義(たじり あきよし、1896年11月 - 1975年10月29日)は、日本の外交官。特命全権公使として上海在勤ののち、外務省政務局長や、大東亜次官、外務次官を務めた。 中国ナショナリズムを尊重する立場をとり、外交官生活の大半を中国で送った。日中和平交渉史の中では、汪兆銘側から求められて香港総領事に就任したことで知られるが、実際には田尻は「汪兆銘工作」に対して強い批判を持っていた。 ==中国任官まで== 1896年11月、島根県に生れる。1920年3月、東京高等商業学校(のちの一橋大学)附設商業教員養成所を卒業し、同年4月、京都市立第一商業学校(のち京都市立西京高等学校)の教諭となる。1921年外交官試験合格。1922年より1924年までイギリスへ留学。留学時に日中外交の重要性を自覚し、中国勤務を希望、1925年、漢口総領事館の領事館補を命ぜられる。 その後2年間の東京勤務を経て、1930年、再び中国へ。天津勤務となり、まもなく天津総領事代理を務めることとなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田尻愛義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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