|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 尻 : [しり] 【名詞】 1. buttocks 2. bottom ・ 生 : [せい, なま] 1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed ・ 五 : [ご] 1. (num) five
田尻 生五(たじり せいご、1887年(明治20年)7月5日〔衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、29頁。〕 - 1944年(昭和19年)7月21日〔『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』〕)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、鉄道政務次官。商工官僚。 ==経歴== 福岡県山門郡大和村(現在の柳川市)出身〔『衆議院議員略歴』〕。1914年(大正3年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、同年に高等文官試験に合格した〔『人事興信録』第13版〕。1916年(大正5年)、朝鮮総督府試補となり、事務官、全羅北道財務部長を歴任した〔〔。1921年(大正10年)、官営八幡製鉄所に転じ、参事、労務部長、理事を歴任した〔。 1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第19回、第20回でも再選を果たした。その間、第1次近衛内閣で鉄道政務次官を務めた。 1939年(昭和14年)、官営製鉄所の後身である日本製鉄株式会社の取締役となった〔。翌年には議員を辞して、日本製鉄広畑製鉄所所長に就任した〔。1943年(昭和18年)からは北支那製鉄株式会社社長を務めた〔『人事興信録』第14版〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田尻生五」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|