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田島 俊雄(たじま としお、1965年10月1日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。滋賀県長浜市出身。本名同じ〔『週刊ベースボール』1995年2月27日号「95プロ野球全選手名鑑号」(第50巻・第8号、通算2101号。ベースボール・マガジン社発行)に掲載された、「トニー田島」のプロフィールより(『日本プロ野球80年史 1934-2014』 初回生産分セットに同梱された同名鑑号の復刻版にも掲載)。〕。 == 来歴・人物 == 滋賀県立長浜北高等学校を卒業後、社会人野球の日本生命に進む。 のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスより1位指名を受け入団。入団1年目のから先発ローテーションの一角を担うも、以降は右肩の故障のため一軍登板は無かった。また、球団名が福岡ダイエーホークスとなったからは登録外とされていた〔。に登録名を田島 俊男へ変更〔福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト内背番号の変遷(No.61 - 80) より、1990年当時の67番として「田島 俊男」の名が明記(名前の後に「」の記述もあり)。 ※「」内記述は、引用。〕。 からまではロッテ・オリオンズ(2年目は千葉ロッテマリーンズ)に在籍。登録名を田島 敏雄に変更〔歴代所属選手一覧(1990年 - 1994年) - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト(インターネット・アーカイブ2008年2月8日付保存キャッシュ)より。 1991年・1992年の投手を参照。〕。 からまではアメリカ合衆国(米国)に渡り、MLBロサンゼルス・ドジャース傘下のマイナーリーグ(1Aクラス)加盟チーム、サンバーナディーノでプレー。 、日本ハムファイターズへテスト入団し日本球界復帰〔。同年の登録名はトニー田島〔〔、の登録名はトニー〔。「トニー」はアメリカ時代の愛称だった〔。 は台湾へ渡り、中華職棒(CPBL)の兄弟エレファンツに入団。登録名は東鈮。 シーズン途中に再びアメリカへ渡り、独立リーグのニューアーク・ベアーズでプレーし、同年限りで現役引退。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田島俊雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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