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田嶋 翔(たじま しょう、1981年12月19日 - )は、日本中央競馬会栗東所属の元騎手、調教助手。妻は小島貞博元調教師の次女。 ==略歴== 2000年に美浦・大江原哲厩舎所属で騎手デビュー。同期に梶晃啓、西原玲奈らがいる。2000年3月4日中山競馬12競走でエイキューガッツで初騎乗(2着)。ジョウノシーザーで初勝利を挙げる(3月26日中山競馬第2競走)。デビューの年は5勝を挙げた(同期の西原玲奈は9勝、騎手デビュー1年目の勝ち頭は嘉藤貴行で19勝)。なおデビュー初年度からしばらくの間障害競走にも参戦、一時中断した時期もあったが2011年より騎乗を再開している。 2003年には前述の小島の次女と結婚。2004年には中山グランドジャンプでGI初騎乗。同じ日には娘も生まれている。 2005年には、桜花賞で平地GIおよびクラシックに初騎乗。このときのパートナーであるテイエムチュラサンはのちにアイビスサマーダッシュで重賞制覇。これが田嶋にとって唯一の重賞勝利だった。 2006年には、美浦から栗東へ拠点を移し、義父である小島の厩舎に所属する。自厩舎所属馬への騎乗が多く、とくに2006年は小島厩舎の出走馬のほとんどに騎乗していた。これは上記の血縁関係のほかに小島の騎手時代の師匠である戸山為夫と同じく「自厩舎の馬には自厩舎の騎手」というポリシーに基づくものである。また、小島と懇意にしている佐山優厩舎からの依頼も多かった。 晩年は騎乗機会が減少し、田嶋のほとんどの騎乗馬が小島厩舎の所属馬となっていた矢先に、後ろ盾であった小島が2012年1月24日に急死。小島厩舎が管理していた全所属馬が臨時貸付を受けた湯窪幸雄(小島の義兄)厩舎に転厩したものの、田嶋の騎乗機会はまったくなくなり〔小島が死去して4日後の1月28日、第2回京都競馬第1日第4競走の障害戦(西橋豊治厩舎の管理馬)での11着(13頭立て)を最後に騎乗機会がなかった〕、2012年4月20日付で騎手を引退。作田誠二厩舎の調教助手となる。〔田島翔騎手が20日限りで現役引退、作田厩舎の調教助手へ 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田嶋翔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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